全国津々浦々に見られる「中央」という地名。「中央」という名を広く広めたのは、現在のJR中央線(中央本線)と中央大学だと思っているが(どちらも明治末期に命名)、地名(自治体名)として「中央」を広めたのは戦後に誕生した東京都中央区だろう。
では、その中央区はなぜ「中央」を名乗ったのか。日本橋区と京橋区の合併なので、大田区(大森+蒲田)のように日京区という案もあったようだが、東京の中心としての採用であることは間違いない。では、なぜ中区などではなく中央区なのか。「中央」という名前にこだわった理由までは定かでない。この点が気になるのは、戦前に中央と名乗る地名はほとんど(まったく?)見られないからである(中町とかならある)。
この中央区を皮切りに、東京23区では住居表示制度以降、次々と町名として採用されていく。
- 東京都中央区(昭和22年3月15日)
- 東京都江戸川区中央(昭和40年9月1日)
- 東京都大田区中央(昭和40年11月15日)
- 東京都足立区中央本町(昭和41年1月1日)
- 東京都目黒区中央町(昭和41年3月1日)
- 東京都中野区中央(昭和42年6月1日)
しかもご覧のとおり、わずか1年9か月(昭和40年9月~42年6月)の間に集中して採用されているのである。この当時、東京特別区は独立した地方自治体としてではなく東京都の内部団体的な位置づけであったので、隣接区に同様の町名は避けるよう指導を受けていた。実際に隣接する区は大田区と目黒区のみ(もともと目黒区も中央だったものを都の指導によって中央町とした)だが、それでも特別区にこれだけの中央と冠する町名が誕生したのは奇異に映る。
ちなみに、中央と冠した町名に区役所が存在したのは、江戸川区、大田区、目黒区の3区で、このうち江戸川区を除く2区は交通不便な地域からそうでない地域に移転している。一方、足立区は中央本町が成立した際、区役所はこの地になかったが、現在は移転してこの地にあるという目黒区や大田区とは逆のパターンである。また、中野区では中央は区の中央部という意味合いであって、区役所が中央に存在したことはない。
中央という地名は全国各地に見られるが、味気ない名前とする評価も多いものの、どうしてその名が付けられたかという意味からすれば、それはそれで地域の歴史となるだろう。そんなことを思いながら、今回はここまで。
中央と言う町名は不動産業者が喜びそうな名前ですが、先日東急の開通当時の写真展が目黒区役所で開催されるというので、慣れ親しんだ清水のバス停で下車して赤っ恥をかきました。洗足駅か渋谷行きのバスに再度乗って中目黒の近くで下車しました。品川区役所も第一京浜国道と環状六号との分岐点に昔はあり、古い話で恐縮ですが大雪の日に徴兵検査をここで受けたことを思い出しました。現在は蒲田と同様に大井町駅の近くに移転し登記所も同じ所にあるので利便性は大幅に向上しました。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2012/07/05 09:59
コメントありがとうございます。
中央、というと役所の位置するところ、あるいは本当に真ん中あたりにあるところを指すものが多いですが、「中央」という言葉がいつ頃から使われ出したのかというのも考慮に入れることが重要かと考えました。
例えば、中央アフリカ共和国と日本語訳される国は、中央=Centerからきています。訳語が作られた時期が仮にもっと古かったとしたら、「中央」ではなく「中」アフリカという訳もあったのではないかな、と。
投稿情報: XWIN II | 2012/07/28 09:23