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2012/03/31

コメント

ありがとうございます。
大変参考になります。
わが実家も、この「東洗足誠交会」の範囲であり、土地は目黒蒲田電鉄田園都市部から購入した、一見「洗足」ブランドでありました。(昭和元年に、契約締結しています)
そしてその所属町会は、昭和2年・3年が「中延誠交会」そして、昭和4年~昭和16年が「東洗足誠交会」でありました。

確かに、東洗足駅により、「洗足」の名を冠したに違いないのですが、やがて昭和17年になると、「東洗足誠交会」の町会名は、「平塚八丁目町会」と、地元町名に変わっていきます。駅自体は昭和26年まで存在していたので、この町名の変更は、町会区域の変更にもかかわっているのかもしれません。まだその辺が調査不足なのですが。

余談ですが、昭和40年以降 平塚八丁目は旗の台五・六丁目と変遷していくため、町会名は一時的に「旧平塚八丁目町会」となります。そしてまた、現在の名前へと引き継がれていくようです。

> この町名の変更は、町会区域の変更にもかかわっているのかもしれません。まだその辺が調査不足なのですが。

こちらの記事をご参照願います。
「旗ヶ岡駅と東洗足駅の歴史を探ってみる 総括編2」http://xwin2.typepad.jp/xwin2weblog/2010/01/hatagaoka_and_higashisenzoku02.html

すみません。ありがとうございます。 m(_ _)m
(過去ブログ、ありがたく再読させていただきました)

当方調査でわかったことを少し。
昭和7年10月1日市制改革により荏原区誕生
昭和15年10月荏原区町会整備委員会発足
昭和16年4月1日より下記町会整備(すみません。省略ですが全部で58町会です)
小山1丁目~8丁目
平塚1丁目~8丁目 他

上記町名変更により、荏原区中延○○○○番地→荏原区平塚八丁目○○○○番地に改定

昭和22年4月1日 荏原区と品川区は統合して品川区へ
昭和22年5月25日 荏原区議会・品川区区議会解散後の選挙にて品川区議会議員45名選出 
同時に初の区長公選制が行われ、品川区長に「鏑木忠正氏」当選

昭和40年5月 品川区平塚八丁目から品川区旗の台五丁目&旗の台六丁目へ変更

平塚八丁目と西中延五丁目の両区域で旗の台五丁目となったが、この両町会の合併はできず、平塚八丁目町会は、昔のままの区域で、「旧平塚八丁目町会」として町会運営を継続することとなった。
したがって、旧平塚八丁目町会は、現在も旗の台五丁目の一部と、旗の台六丁目の一部をもって町会区域となっている。

こんなところでしょうかσ(^◇^;)。。。

なお。もうちょっとだけ補足を。

実は、「東洗足自治会」という名前が(名前だけ)
現在も残っております。
「休会中」ではありますが。

http://www.city.shinagawa.tokyo.jp/hp/menu000011200/hpg000011181.htm

旗の台六丁目の町会は、旗の台六丁目町会、旗の台南町会、小山洗足町会と、三分割されているのですが。
この地番をよく見ると、実はどこにも所属していない地番があります。
旗の台六丁目30番地と31番地です。

実際のところ、旗の台六丁目30番地は、現在南町会に所属しております。
が、旗の台六丁目31番地は、本当にどこにも所属しておりません。
しいて言えば、ここが「東洗足自治会」の残滓ということになります。

本来は、南町会となるべき場所だったのですが、当時のここのリーダーの方が、南町会に入ることに反対なさったらしく。かといって小山洗足町会にも入らないまま、現在に至っているようです。(そしてリーダーだったおうちの方々はもうここにはおられません)
国勢調査等、町会に依頼される仕事は、南町会がこの「空白地域」を受け持っているそうですが。

町名のブランドの魔力はバス停にまで及んで、六間道路入り口は田園調布本町と最近変更され、耕地整理の名残も消えてなくなりました。

洗足が「洗足田園都市」だったことを知る人は今は少なく、しかし、田園調布はいまだに金看板であるこの差は、何が要因だったのか・・・いくつか仮説が成り立ちそうですね。興味があるところです。

>はひさま

そのとおりなんです。「洗足」て、現在はかろうじて、皇太子妃雅子さまのご実家の最寄り駅、ぐらいな認知度ですよね。
洗足駅近くの「ロンシェール」というパン屋さんには「プリンセス通り」という、お菓子があったと思います(すみません。ちょっとうろ覚えなんですが)
「洗足田園都市」のネームバリューは、ないですよねぇ。

何しろ、旗の台駅付近に去年建てられた「碑」があるのです。このブログでも取り上げられているのですが、品川区了承のもとで建てられたこの、旗の台駅合併記念碑
「東千束駅」と「旗ヶ岡駅」の合併ですからね。「東千束」ですよ。私しゃがっくりきました。

田園調布のネームバリューが維持された原因の一つとして、主体が大森区だけであり、また町会も主導権を発揮できまた現在も発揮できるのと比較して、洗足田園都市の様に荏原、目黒と大森区に、また田園都市の南部が更に分離されたために求心力を失ったことを挙げることができるでしょう。

>りっこ様
はじめまして。私の場合は、約10年以上前から武蔵小山に住むようになって、洗足のあたりを散歩する中で、「ここはなんなんだ?」という疑問を持つにいたり、自ら調べてみて、ようやく知ったという経緯です。その疑問が無ければ「洗足田園都市」などというキーワードには出会わなかったと思います。そういった歴史を知るにつれ、むしろ魅力が増し、現在はここの住人です・・

>木造院電車両マニア様
はじめまして。確かに、住人による地域の価値維持のための働きかけの差があったというお話は理解できます。交番の隣の広大な土地(500平米?)が空いていますが、分割されようとしていますものね。という自分は、そういった分割されたところに住んでおります・・・。人間は勝手です。

はひ様
正直言って詳しいことは知りませんが、聞くところによると田園調布では分割を防ぐために町会が何らかの措置を講じているようですが、相続の問題もありかなり努力されて価値を維持されているのでしょう。

洗足田園都市ブランドは、今でも思わぬところで輝きを放っているようです。
不動産会社の広告の中で「洗足田園都市」生き続けていることを見つけました。

下記に見られるように、なんと関西!大阪府堺市東区北野田のマンション広告に引用されており、興味深いですね。

サウス・ヒル北野田 ― ロケーション ―
http://www.sh-kitanoda.com/location.html
「東京の田園調布や洗足田園都市と同時期に開発された日本の田園都市の原型で、豪邸や瀟洒な洋館が立ち並ぶ関西有数のお屋敷街である。」

上記をさらに引用したと思われる薬局の店舗紹介
http://www.hello-p.co.jp/shop/shop/sanga.html

西日本では、意外と「洗足田園都市」は良く知られているのかも知れません。

もちろん、下記のように、該当エリアや隣接エリアのブランド価値向上に、一役買っている今でも現役のキャチフレーズのようです。

三井のリハウス白金高輪リアルプランセンター
2012年5月28日 更新
◆新着物件「品川区旗の台6丁目戸建」14,500万円http://www.rehouse.co.jp/agent/news/shopNews/SHPV111108/?sEigyoId=DEAU381850
「~住宅と庭園の街作り~「田園都市構想」のもとに開発された瀟洒な邸宅街「洗足田園都市」に隣接する閑静な住宅街にいちする戸建住宅です。」

株式会社 忠勇東京
小山7丁目 2区画 101.83㎡~
http://www.cy-t.co.jp/land/2-101-83-6-150/
「洗足田園都市地区屈指のブランド住宅地!!!」

探せばまだまだあるのかも知れません。

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