東京都渋谷区にある宮下公園と言えば、渋谷駅近くにある公園としてそれなりに有名だったが、昨年に「みやした こうえん」というお役所流行りのひらがな表記化してリニューアルオープンをしたという。もともとは、戦前に計画された都市計画公園であったが、駅近くということで建物が既に建て込んでおり、1936年(昭和19年)時点の航空写真ではこのようになっていた(その翌年に米軍空襲でかなり焼けてしまう前の状態)。
主なポイントは写真に上書きした。緑色で囲ったのが、現在の「みやした こうえん」(完全には一致していないが概ね)で、水色の線が渋谷川を表す。下方の渋谷駅は、東京高速鉄道が建設し、帝都高速度交通営団を経て現在は東京地下鉄(東京メトロ)の銀座線が立体構造物として見えている。また、(東京)陸軍刑務所は二・二六事件に縁の深いところだが、現在は渋谷区役所となっている。
で、みやしたこうえん(旧宮下公園)となるところは1944年(昭和19年)時、山手線と渋谷川に挟まれた地域であることに違いはないが、建物が建ち並んでいることがわかるだろう。これが翌年の米軍機による空襲で焼け野原となり、ようやく宮下公園として生まれ変わることになる。なお、宮下公園の名の由来は、1928年(昭和3年)に旧渋谷町に誕生した大字名である「宮下」(渋谷区成立時に宮下町となる)からで、「宮下」の由来は上写真に一部が写っている(渋谷川右側にある道路の右側に広大な庭が見える所)梨本宮邸の下(低い地)となる。
そして時代は一気に現代に進み、今のみやしたこうえんの案内図。宮下公園の歴史まで入れてしまうと長文化必至なので、ご容赦ということで。で、この細長いみやしたこうえんだが──
案内図の左側を拡大すると、何とまぁ都会的なというか、スケート場、フットサル場、クライミングウォールとかの表記が見える。もはや公園というよりも、施設的な位置づけになったような印象である。実際に──
これはスケート場だが、ご覧のように利用が有料のためか囲われている。それも簡単に乗り越えられないような構造となっている(さすがに鉄条網や高圧電流が流れる仕掛けはないはずだが、物理的には簡単に設置できそうな感じではある)。こういうところからも公園ではなく、施設という印象を持つのである。
こういった有料施設的な使われ方、つまり想定された利用法以外にも面白い使われ方がされている。管理事務所のガラスが鏡のようになっているので、公園の使用(仕様)としては未定義だが、ダンス(パフォーマー?)の練習が行われていたりするのだ。私が通ったときも女子の皆さんが練習をしており、さすがにこれは想定外の使われ方ではないかと思った。とはいえ、都会的な使われ方ではあるのだが…。
以上、リニューアルオープンされたみやしたこうえんを眺めての印象だが、もはや公園とは名ばかりで立派な施設(広い意味で公園も施設ではあるが、いわゆるハコモノ的な施設という意味)になったという印象が強い。なぜこうなったかは裏の目的があるとする話が聞こえてくるが、大都会の公園の役割とは何かと考えを巡らせば、バックグラウンドが何であるかは別にしてこういう利用方法もあると思う。間違いなく言えることは、以前の汚い、そして通りにくい雰囲気はほぼ一掃されていて、リニューアルした価値はあると感じた。そんなことを感じつつ、今回はここまで。
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