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2011/07/11

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キャンパスの南北分断
 陸地測量部の碑文谷の地図を見ると大井町線は大岡山止まりとなっており、北部と連絡する橋は公道となって大岡山商店街の西側の道に連絡しています。従って町を南北に分断したのは東工大であって東急ではありません。連絡橋はかなり長く立派なものですが、現在の目的はキャンパス同士の連結のためで、外部の人間の北側と土地と行き来には使用できません。
 余談ですが目で見る大田区100年の60頁の東工大は大岡山駅北口を南部宅地と等価交換するまえの東工大のキャンパスン入り口のようです。運送店の看板が見えますがそのすぐ後ろが貨物専用ホームでした。貨車を電気機関車で牽引して菊名の連絡線経由で国鉄と連絡していました。運送屋さんはたしか地元の鈴木さんであったと記憶しております。

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