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2011/07/09

コメント

XWIN II 様
ご指摘の通り古いどんどん橋の後に地下化のときに新たに架け替えられたことは間違いなく、終戦直後友人の家を訪れましたが奇跡的にこの地域は戦災免れています。しかしりっこ様がご指摘されているように階段の落差が現在より大きかったことも確かです。昭和2年の橋を強化したのか全く新しい橋にしたのか、また橋脚を取り替えたのかあるいはコンクリートで補強したのか分かりませんが、車の通れない純然たる歩道橋ですので大掛かりな補強は必要なかったとは思いますが当初建設されてから年月を経ていますので何とも言えません。疑問として残るのは古い写真の両橋詰めに階段が無く地面とフラットになっていることです。現在は両方の法面の斜面にコンクリートの側壁を設けて盛り土して宅地化しているのでそのとき本来の標高すなわち田無道路の標高34,23メートルから橋のある所の標高32.5メートルの差1.73メートルだけ削りその分階段を設けたのだと思いますが、地下化の時により低い段差の階段を設けたことはなにか児童の通学に配慮した様におもいますが、何れにしても自転車でさえ年寄りには持ち上げるのに一苦労しますのでそれしか考えられません。何としても不可解な歩道橋ですね。橋のオーバーヘッドクリアランスは、田無道路の少し先から33.33パーミルで先述のかさ上げを考慮に入れれば5メートル位確保できるとおもいます。踏み切りの渡り初めは旗が東洗足誠交会のものとすれば、東洗足が旗が岡の営業開始と同時ですのでそのとき既に町会が設立されていたとは考え難いので開通式のものではないでしょう。踏み切りといい、跨線橋といい、地元との話し合いが難しいようですね。大森と川崎の間に未だに踏み切りが残っているので廃止が如何に困難かが分かります。何れにしてもウイキペディアを含みこの手の記述を鵜呑みにすると危険であることは間違いありません。今迄の貴重なご意見有り難う御座います。

いつも楽しみに拝聴しています。今回の例の写真は幻の橋そのものだと思っています。
かなり専門的な資料で分かりにくいところもあるのですが、旗の台駅からどんどん橋までの勾配は、開通当時と変わっていないのではないでしょうか?ゆえにどんどん橋も最初から階段つきのまま存在していると考えています。資料というものには間違った情報もかなりあることは、このブログでご指摘の通り。
例の写真のキャプションは、どんどん橋あたりであって、どんどん橋ではない。そのままだと思います。
追伸 
昭和42年の頃のどんどん橋の階段は、一段がとても高く昇るのが大変でした。

私の推測です。
「どんどん橋辺り」と、場所をぼやかして書いているのは、この写真の持ち主も、特定ができなかったものと思われます。
「多分どんどん橋だろう」としたのは、この写真が、旗の台5丁目町会か、南町会の一般の方からの提供だったからではないでしょうか。少なくとも、踏切渡り初めの写真は、町会保存ではなく(私が送付いたしました2枚は町会保存なのですが)一般の方からのものだったそうです。
「品川区の100年」編集部としても、「どんどん橋の近在住居の方から提出された写真だから、多分どんどん橋だろう。でも、もしかしたら違うかもしれない。」ということで、あえて断定的にせず『どんどん橋あたり』という表現にしたように感じました。

どんどん橋は、「旗の台一の橋」という名称がついているものの、その名前は地元でほとんど認知されておりません。どんどん橋は、あくまでもどんどん橋であり、木造院電車両マニア様がおっしゃっておられるとおり、自転車の通行ですら、拒んでいます。そして私は、どんどん橋と言われるのは、やはりこれが両端に階段がついている、という、池上線の跨線橋の中でもユニークな形状の橋だったからではないかと思います。

この橋がフラットだったのか、最初から階段がついていたのか。これは、この橋の近くに住み、現在90歳以上で、記憶がしっかりした方にお話を聞けない限り、無理かなと思っております。ということは、かなり不可能に近いですね。
ならば、1枚の写真をもとにして、こうしていろいろ考察してみることは、そこには確たる正解は出ないかもしれないけれど、どの可能性も考えられるということで、これはこれで大変、ロマンのある、楽しい連載でした。

本当に、3枚の写真について、詳細な考察、ありがとうございました。
今まで見たことのない、数々の歴史的記録を表示していただいて、感激いたしました。これからもどうぞよろしくお願いいたします!

nuu様
昭和42年頃のどんどん橋の階段が登るのにきつい程段差があったと述べられていますが、これは私の昭和8年代と昭和21年の記憶と一致します。何らかの理由で小刻みになったのでしょうが、地元の要望で段差が変更されたのでしょう。

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