« 目黒競馬場跡はどんなふうに分譲されたのか空から確認する | メイン | 続々・池上線開通式典の写真を分析する─「目で見る品川区の100年」より─ »

2011/06/29

コメント

目蒲線の不動前を出て目黒川を渡る鉄橋は先の勾配を緩和するためにかさ上げしたことは確かですのでその写真かもしれません。五反田駅の航空写真ですが、目黒川に浮かぶ艀を見て両側に多数在った接岸用の岸壁を思い出しました。

追伸
池上線の橋脚の鉄柱は下でやや末広がりになっています。また技術者の服装ですがかさ上げ工事が何時頃実施されたか知りませんが昭和初期のものとは一寸違うような気がします。

目黒駅地下化のため橋を付け替えているようですので、登り勾配を緩和するためにせっかくかさ上げしたものを今度は地下に向かって下り勾配になるとは歴史は目まぐるしく変わるものですね。

昨日品川図書館に行くのに大崎広小路から大井町行きバスで新馬場で下車するルートを利用しましたが、大崎広小路は道幅拡張のネックになっている橋脚を撤去して橋の付け替え工事中で、昔の矩形の鋼鉄製の橋脚はすでに撤去され、昭和20年5月24日の空襲で火災にあったガード下も長らく鉄骨で補強されてましたが、更新工事中のようです。終戦直後被災したコンクリートの強度が問題視されたようですが、鉄骨補強で済ませたようで、結構長持ちした者ですね。

写真の誤りを指摘した者です。
本件について写真を探したところ、目黒区めぐろ歴史資料館が出版した「写真集 目黒の風景100年」という写真集があり、本書の34ページの上の「目黒川を渡る目蒲線目黒行き 昭和31(1956)年7月21日」と題する写真を参照して下さい。分かり難ければ拡大コピーをして頂くとよいのですが、確かに川の中に橋脚が二本突き立っております。下部はコンクリで上部は鉄骨構造のように見えます。
3両編成の電車の真ん中の車両の後ろに煙突が二本見えますが、五反田にはこのような工場はないのだと考えます。また、一番右の電車の下は土手になっております。池上線は、鉄橋(目黒川)を渡ると山手通りまでコンクリートの高架になっているのです。
従って、私が指摘した写真は、目蒲線のものであると申せましょう。
本書は、目黒区教育委員会が編集したもので、目黒区めぐろ歴史資料館で千円で購入したものです。それにしても、ずいぶん価格が違いますね。

コメントの確認

コメントのプレビュー

プレビュー中です。コメントはまだ投稿されていません。

処理中...
コメントを投稿できませんでした。エラー:
コメントを投稿しました。コメントは記事の投稿者が承認してから表示されます。 さらにコメントを投稿する

入力された文字と数字は画像と一致していません。再度入力してください。

最後に、下の画像の中に見える文字と数字を入力してください。これはプログラムを使ってコメントを自動的に投稿するのを防ぐために行われています。

画像を読み取れない場合は 別の画像を表示してください。

処理中...

コメントを投稿

コメントは記事の投稿者が承認してから表示されます。

アカウント情報

(名前とメールアドレスは必須です。メールアドレスは公開されません。)

2024年1 月

  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31