« 「京」世界1位おめでとうございます | メイン | 大正11年(1922年)発行の地図に描かれた目黒駅に乗り入れ予定線は… »

2011/06/22

コメント

 目蒲線は工事中に関東大震災に見舞われたがさしたる道床の崩落もなく五島慶太の叱咤激励で工事を完成させたとあります。既に洗足田園都市では一部の住宅が完成しておりましたが、良好な地盤のせいかさしたる損壊もなかったので田園都市の名声を高めたと聞いております。
 西小山はずっとあとに出来た駅で事実誤認も甚だしいものと言えます。
 京浜急行に至っては開いた口が塞がりません。駅の名前ですが参謀本部の地図では大きな駅のみ記載されておりバス停のような停留場の名前は記されていませんでした。当時は市電と同様に切符は鞄をぶらさげた車掌が販売していましたので、出札改札の施設が無いのも当然でしょう。
 ある程度公文書的性格がある本ですので歴史的な検証を厳格に行って頂きたかったものですね。

えーーー!

もう入手なさったのですか!!

うーん (ーー;)

私、5月に予約するも、いまだに書店から何の連絡すらないです。
何だかがっくりしてしまいましたよ。そっかー。。もう発売されてんですかぁ……

ようやく「品川区の100年」入手いたしました。

で、気になったところが地元的にまず2ヵ所。
73ページ
池上線開通式典

「8月28日だった。地元の旗の台では、この開通を喜んで式典が行われた。」

実は、我が家にこの「式典」の写真があります。広場のようなところでやっています。
「開会式次第」が見えます。最後、万歳三唱で閉会の辞となっています。

ですが、これは「旗の台」なんでしょうかねぇ。
旗の台という駅、ありませんし。
資料の提供は、旗の台の町会かもしれませんが、当時あった池上線の駅は、旗ヶ岡。旗の台という表記には、違和感を覚えます。

同ページの下。
「池上線開通の記念写真」(昭和2年)

「写真は旗の台の通称「どんどん橋」辺りで」
どんどん橋でしょうか…………?
地形的に、もしかしたら、幻の跨線橋の方かも。それとも、後ろに橋げたの脚のようなものが見えるのが、こちらが幻の跨線橋なのかな。
この写真は嬉しかったです。ただどうも、木造ではなく、初めから鉄筋みたいですね。父の記憶は残念ながら違っていたのかな。ではどこから「どんどん橋」の名があったのかなぁ。

記事ばかりでなく写真の誤りが発見されました。
このページの上から二枚目の白黒写真です。「人口急増と交通網の発達」と題したページの
橋梁の写真が池上線目黒川の橋の写真とされていますが、これは目蒲線の目黒川に架かる橋梁の写真です。
池上線の目黒川に架かる橋梁は川の中に橋脚はありません。ご確認下さい。

頁60の大岡山駅の風景は以前にブログで取り上げられた等価交換前の北口の東側に東工大が在った頃のものと思われますが如何でしょうか。

コメントの確認

コメントのプレビュー

プレビュー中です。コメントはまだ投稿されていません。

処理中...
コメントを投稿できませんでした。エラー:
コメントを投稿しました。コメントは記事の投稿者が承認してから表示されます。 さらにコメントを投稿する

入力された文字と数字は画像と一致していません。再度入力してください。

最後に、下の画像の中に見える文字と数字を入力してください。これはプログラムを使ってコメントを自動的に投稿するのを防ぐために行われています。

画像を読み取れない場合は 別の画像を表示してください。

処理中...

コメントを投稿

コメントは記事の投稿者が承認してから表示されます。

アカウント情報

(名前とメールアドレスは必須です。メールアドレスは公開されません。)

2024年1 月

  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31