「荒川放水路で大きく曲げられた(直された)東武伊勢崎線」という過去記事で取り上げた大正11年(1922年)発行された地図を今回は目黒駅付近をターゲットとした一部分として以下に示す。
この頃には東京市電が目黒駅前まで進出しているが、明治末期からの計画線である恵比寿(恵比寿長者丸)から先(大森駅付近)の路線が、赤い2本の平行線として示されているのに注目。目黒不動を目的地として通るように計画されたとされるが、実はそれほど近くまで通っていないことがわかる。そして、池上電気鉄道に注目している私としては、それ以上に赤い2本の平行した点線、「池上」と書かれているまさにこれこそ、池上電気鉄道計画線である。
結果として目黒駅乗り入れは後発の目黒蒲田電鉄に許してしまい、接続駅を目黒から五反田に変更するようになるが、仮にこの計画線通りに実現されたとしたら…。目黒不動までは近くなったろうが、急曲線によってスピードは出そうにない…。
と、そんなこんなで出勤時間となったので、今回はここまで。
市電の長者丸で盲腸の様になっていた理由が分かりました。天現寺橋から四輪単車のハンドブレーキの市電が走っていましたが利用者はあまり多くなく、伊達下にが在って利用したことがありますが谷間の寂しい駅でした。何れにしてもインターアーバンとして路面電車を乗り入れることは、東京では玉電、京王、京浜、京成、大阪では阪神の春日の道と出入り橋や大軌の上六でも結局は接続されませんでした。木に竹を接ぐアイディアは最初から間違って居たのかもしれません。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2011/06/23 20:38