洗足会館は、田園都市株式会社が最初に分譲を行った田園都市洗足の住民に対して、被合併先となる目黒蒲田電鉄によって手切れ金のように交付された資金(寄付金のような性格)をもとに、社団法人洗足会によって会館建設が建議された結果に基づく成果物と言うべき性格の建物である。洗足会は、今日に言う自治会(町会)のような性格を持っていたが、戦時体制に向かう中で町会再編が行われる過程で事実上、体を為さなくなり、戦後は各区毎(目黒区、品川区、大田区)に民主的な自治会が誕生して有名無実化した。しかし、洗足会館という大きな資産を持っていたため、社団法人洗足会は会館の運営を基幹とした親睦会的な団体に実態を変えつつ、本来の社団法人的な性格を持たない曖昧な位置づけで今日まで進んできた。そういった中、ようやく会館建替えという大きな事業によって、外部からはよくわからないがおそらくは社団法人洗足会の位置づけを再定義したのではないかと思われる。そういった話はともかく、4コマまんがでこういった話を展開することに無理を感じながら、今回はここまで。
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わかりやすい手法で、楽しく読ませていただきました。
洗足会館、とうとうなくなってしまったのですね…………
私ごとになりますが、父親がついに、施設入所が決まりました。今月末です。
彼もまた、81年間、住み続けた自宅から出て行くのだと思うと、娘としては、とってもとっても今、つらい心境です。
認知が進んでしまった今、仕方がないことなのですが。
洗足会館の会員の皆様。超高齢化が進んでおられるとのこと。
この会館の解体は、やはり哀切な思いがおありなのではないかと想像してしまいます。
投稿情報: りっこ | 2010/12/19 17:16
りっこ様、コメントありがとうございます。
洗足会館、約80年という歳月で終了。長いのか短いのかは私自身、この会館の半分程度しか生きていないこともあって何とも言えないところですが、木造建築物と言うことや米軍の空襲を生き残ってきたことを慮れば、何とも残念といった印象を受けます。
>洗足会館の会員の皆様。超高齢化が進んでおられるとのこと。
↑
昭和は遠くになりにけり、というよりはもっと遠い過去、なんでしょうね。
次世代に何を遺すか、という問題以上に何を遺せるか、という問題の大きさに潰されないよう遠くから祈念するのみです。
投稿情報: XWIN II | 2010/12/21 07:43
強いて昔の洗足会の痕跡を残すものとしては南台の区画をそのままカバーする小山洗足町会でしょう。恐らく有力者の品川区に対する強力な働き掛けがあったのでしょうが、珍しく行政側も折れてこの区画を特別扱いしたのでしょう。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2010/12/21 10:02