東京工業大学は、来年で創立130周年記念ということだが、現在の東京都目黒区大岡山に移転してきたのは大正13年(1924年)4月であるので、そこから数えても86年であり、地域にも根ざした施設だと思う。ただ、目黒区大岡山といいつつも、実は目黒区と大田区の境界にまたがって敷地は展開しており、正門付近は微妙な感じだが大田区にあるような印象であり(ゼンリンの電子地図で示すとここ)、大学本部の入っている建物も大田区内に位置しており…といった感じで大田区北千束とか、大田区石川町としてもよさそうなものだが、やはりそこは目黒区大岡山とした方が最寄り駅も大岡山駅であること、そして地名としてのブランド力からいっても目黒区大岡山二丁目とした方がいいということなのだろうか(このような敷地展開であれば、住居表示上のルールから考えて目黒区、大田区どちらでも可能なはず)。
ということで、目黒区と大田区とにまたがる東京工業大学だが、敷地南端に位置する石川台地区あたりは、かつては東京府荏原郡馬込村字出穂山といい(のちに町制施行で馬込町、さらに耕地整理事業完成によって大字南千束の一部、すぐに東京市大森区南千束町の一部、戦後に大森区が蒲田区と合併し大田区、住居表示の際に東工大敷地部分は大田区石川町一丁目の一部となる)、その名残は出穂山稲荷に残っている(ゼンリンの電子地図で示すとここ)。
さて、この出穂山だが、私は地域歴史研究の過程でこの読みは「でぼやま」だと理解していた。根拠は、安易といわれればそれまでだが、地元の方が「でぼやま」と呼んでいたからである。地名、特に自然地形からとったものは大半が「読み」から「漢字」をあてたものであるので、「でぼやま」(に発音が近いものとして)が「出穂山」となったのだろう、と。
ところが、IME(仮名漢字変換)等で「でぼやま」と入力して漢字変換すると辞書登録しない限りは「出穂山」とはならない。これは固有名詞であるがゆえ当然であるのだが、「出穂」については「でぼ」ではなく「しゅっすい」として仮名漢字変換すると一部のIMEなどではダメかもしれないが、大半は「しゅっすい」の候補中に「出穂」が含まれていることを確認できるだろう。つまり、一般的に「出穂」は「でぼ」ではなく「しゅっすい」と読むのだ。「出穂」(しゅっすい)とは稲や麦から穂が出ること、まさに「出穂」だが、これが一般名詞であるため、「出穂山」を「でぼやま」ではなく「しゅっすいやま」と読んでしまう事例がいくつか見られるのである。
ちなみに地元というべき、東京工業大学では「出穂山」はもちろん「でぼやま」と読んでいる。それは、東京工業大学の「こちら東工大130年事業事務室です!」ブロク記事「写真が語る東京工業大学130年の日々」にもあるとおりで、やはりというか当然といおうか「でぼやま」であった。ところが、最近出版された「河出ブックス019 「大学町」出現──近代都市計画の錬金術」(著者:木方十根、発行:河出書房新社)の90ページに「出穂山敷地」の「出穂」をふりがな付で「しゆつすい」(文字の大きさから小さい「ゆ」や「つ」が示せなかったため)とわざわざ振っているのである。これは「出穂山」が地名・固有名詞の類だからという著者の配慮なのだが、いかんせん他にも誤ったふりがなが散見されている。もっとも著者がほとんど東京とは無縁かつ建築・都市計画方面の方なので、このあたりはやむを得ないところだろう。
固有名詞の難しいところは、読み方は変幻自在だということにある。極端な例をあげるが、我が国の戸籍や住民基本台帳(住民票)には「読み方」を登録しない。申請書上では読み方を書くようになっていたり、役所のシステム上ではそれを記録するようにもなっているが、あくまで便宜的なものであって正式なものではない。つまり、その人の名前の読み方というのは、公式的な記録は存在しないのである。よって、申請者の気の赴くまま誤ったよみがなを記せば、たとえそれが本人が使っている読み方とは違っていたとしても、誤って記録されるのである。仮に「山田太郎」という漢字表記の人が、実は読み方が「すずきいちろう」だとして申請したとしたら、一応は申請窓口で確認されるだろうが、そう読むのだと断固たる態度をとればおそらく受け付けられるのではないかと思われる。公式な登録がない以上(これは他市町村に転出する際に役所から手に入れる転出証明書に仮名がないことからも明らか)、読み方などは何でもいいのだ。
地名で見ても、現在はしっかりと読み方まで公示されるので、公式な読み方があるのでいいが、昔のものはそうではなかったし、有名なところでは江戸が東京に改名された際も、読み方は「トウケイ」とわざわざ読み方を示したにもかかわらず、「東京」の一般的な読み方としての「トウキョウ」が定着し、ついには公式に「とうきょう」となったことも、地名の読み方というのが地元のみならず、様々な事象によって変わっていくものだということである。
と、話が飛躍してしまったので再び「出穂山」に戻るが、やはり「出穂山」は「でぼやま」だろう。ただ、他地域にある「出穂山」が必ずしも「でぼやま」と読むとは限らない。「でほやま」かもしれないし、「しゅっすいやま」かもしれないし、あるいはまったく違った読み方かもしれない。ただ、地域の歴史というのは、一般的なものとして理解するのではなく、その地域に根ざした形で理解していくのが姿勢としては適切かと考える。そんなことを思いつつ、今回はここまで。
1891年生まれの祖父が所有していた地図には、洗足池周辺の地名として、南から千束・石原・貉窪そして出穂山の地名が見えます。
多分昭和5年であろうとおぼしきこの地図は、祖父が実際に使用していたものでした。
「目黒蒲田電気鉄道」の駅名として、「せんぞく→おほをかやま→なかまるやま→じいうがをか」といった平仮名表記がされております。
私が、自分の実家周辺に興味を持ったのは、まさにこの地図を手に取ったときからだったと記憶しています。近所なのに、知らない地名もいっぱいあって……
なお、恥ずかしながらわたくし、「出穂山」は、ながらく勝手に「いづほやま」と読んでおりましたσ(^◇^;)。。。
だってその方が語感がいいんですもん。
(余り振り仮名表記も見ないんですよねぇと、言いわけです(;^_^)
投稿情報: りっこ | 2010/08/14 10:08
りっこ様、コメントありがとうございます。
>なお、恥ずかしながらわたくし、「出穂山」は、ながらく勝手に「いづほやま」と読んでおりましたσ(^◇^;)。。。
↑
確かにそうも読めますね。語感としては「でぼやま」よりも「いづほやま」の方がいいように思いますが、そこが固有名詞の難儀なところです。もっと単純なところで「本町」も「ほんちょう」と「ほんまち」とあって…。本当に固有名詞の読み方というのは難しいものだと。
投稿情報: XWIN II | 2010/08/14 10:18
XWIN II様
出穂山稲荷の位置が閉じられた門を通る道に向かっているので不自然な印象を受けましたが、これは私のあくまでも推論ですが、中原街道が洗足池を過ぎたあたりに九品仏道の道しるべの庚申塔がありますがその分かれ道の延長線上にあり東工大の敷地を横断した反対側の急な坂道に(名前は忘れました)昔の九品仏道の一部であったむねの看板があったように記憶しておりますので、この社はこの道に面していたのかも知れません。敷地の中に閉じ込められてお参りができないような状態で不自然だなあと思っておりましたが、これで説明がつくとおもいます。やがて東工大のホームページでこのトピックスを取り上げるようですので明らかになるでしょう。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2010/08/14 11:50
XWIN II 様
稲荷神社の補足説明
東京23区の坂道の大田区の石川町、千束地域の稲荷坂のところに地図入りで説明されていますので参考迄。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2010/08/14 12:45
たまたま出穂大明神で検索していた所、
東京荏原都市物語資料館 下北沢x物語に沢山の書き込みが掲載されており、地主の鈴木家のことなど色々述べられており興味深く読みました。大岡山駅北口の商店街の外れに昔運送店のトラックが空き地に並んでいたことを思い出しました。ご家族の方の中に中学校の友人がおりまして、確か鈴木君であったと思いますが確信はありません。70年も前の話を持ち出して恐縮ですがたまたま話題になったので投稿した次第です。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2010/08/16 21:41
9年前の記事にコメントするのもなんですが、馬込村が編纂した馬込村誌(内容はほとんど新編武蔵風土記稿の引き写し)という村誌が存在し、そのなかで出穂山のルビはデボヤマとなっていますので、デボヤマと読んでいたのでしょう。馬込村誌は大田区の図書館で見ることが出来ます。ご参考まで
投稿情報: 千束歴史探究人 | 2019/03/16 20:26
コメントありがとうございます。
地名の読み方は、必ずしも全国通用ではなく、当て字だったり、独自読みだったり等、様々なものがあります。そういう意味ではわざわざルビをうつにしても、誤ったルビをうつことは誤りの連鎖を引き起こすわけで、注意を払う必要があると改めて私自身、自覚するところですね。
投稿情報: XWIN II | 2019/03/17 10:29