我が国の高齢化率は、世界に類を見ないほど急速に進んでいるのは、人口動態統計や同じく静態統計からも明らかであるが、かつて厚生省(現 厚生労働省)に関係する人口問題研究所の主催する講義を聞いた当時(約20年ほど前)から、講師曰く、高齢者問題は今に始まったものではなく、戦後から積み重なったものが今に表れているに過ぎない。と、この言葉を最近は国政選挙のたびに思い出す。
考えてみれば当たり前だが、選挙権のある人であれば、年齢、性別、資産、職業などの別は関係なく、一人一票であること。差があるとすれば(実際あるのだが)、選挙区制度によってどういう区切られ方がされ、当選者一人あたりどれだけの選挙権のある者が存在するか(いわゆる一票の価値)くらいなもので、これが民主主義の基盤となっている。
しかし、最近の年齢構成別人口比率を見るまでもなく、政治に何を求めるかと言えば「年金問題」だったり「福祉問題」だったりと、無論例外はあるが、どう見ても高齢者指向であることは間違いなく、若者…いや中年あたりまで含めてもけっして期待する政策が一致しているようには見えない。一見、若者向けに見える政策も、自分たちの年金額が減ってしまわないという深謀遠慮が働いているようにも感ずることだろう。
だが、数は力だ。被選挙人(立候補者)が若者向けの政策を説いたところで、それが高齢者にウケなければ投票数で勝てるはずがない。何度も言うが例外はあるが、大半がそうでないことはマスコミが煽り立てる各種調査からは見えてこないのである。
考えてみれば、後期高齢者医療制度の廃止問題の時もそうだったが、余命が通常よりも短い高齢者が将来20~30年先のことを考えた政策に興味を示すとは思えない。将来のために節約します、といったところで、自分の生きてる5年先まででいいや、という若い頃よりも判断能力が欠如している方もそれなりにあるだろう。
とはいいながら、結局は高齢者の高齢者による高齢者のための政治(泡沫新党にはこういう指向が見えるところもある)なので、本当にイヤならば国外脱出も選択肢の一つに入れておくのも一考かもしれない。
最近は特に、有権者の判断能力が問題あるように思えてなりません。これも高齢者による政治の影響があるかもしれません。
確かに、高齢者といってもいろいろな人がいるわけで、一概には言えませんが、私の周りを見ていますと、TVニュース一つにしても、その捉え方やニュースに関する発言がまともなものだとは到底思えないということがほとんどです。
民放や政治家の言っていることを信じすぎるところも問題があるように感じています。ついで、これに関しては、自分で考えることをやめてしまったという印象を受けています。
そして、自分で考えることができない人間にまともな判断ができるのでしょうか。
投稿情報: i | 2010/07/19 16:34
i 様、コメントありがとうございます(遅れましたが)。
とはいえ、判断材料はマスコミというフィルタを通したものしかないのも事実でして。私は、最大多数の最大幸福というものを目指した結果が今であるなら、超高齢化社会が実現していく以上、これは避けようがないと思います。禁治産者とならない以上、選挙権が失われることはなく、大半の痴呆者は申請がないため、そうなることはありません。そこをつけ込んだ選挙運動も某政党が得意とするところで、これがますます加速していくのではないかな、とも。
何にしても、高齢者の支配する閉塞した社会では、いくらかけ声をあげたところで何も変わることはないでしょうね。
投稿情報: XWIN II | 2010/07/26 06:46