まず、Crusoe単独のせいにはできないが、超小型PCであるがため、どうしても消費電力を大きくすることができないために、スペックは控え目のものとなっていた。これはある程度は仕方がない。しかし、Crusoe単独の理由として致命的だったのは、その構造そのものにあった。Code Morphingがボトルネックになったことである。
(前回その8までの続き)
Crusoeの構造上、x86命令を実行するためには、まずCrusoeで実行する前にx86命令をCrusoe独自命令に変換する必要があるが、その重要な役割を担ったのが、Code Morphingを実行するソフトウェアである。問題は、このCode Morphingソフトウェアがどこで(どの階層で)動作・実行するか、であるが、言うまでもなくWindowsや各種デバイスドライバ等、いわゆる低レベルのソフトウェアもすべてがx86命令で記述されているので、Code Morphingソフトウェアはさらにそれらよりも低レベルで活動しなければならない。察しのいい方は、もうお気付きだろう。すべてのソフトウェアは必ずCode Morphingソフトウェアにより、x86命令のバイナリレベルでCrusoeネイティヴコードで実行されるのである。これには当然、ソフトウェア割り込みだけでなく、ハードウェア割り込みなども含まれる。理論上は、プロセッサとOS等のソフトウェアの中間にCode Morphingソフトウェアを配すれば、すべてが問題なく変換されて実行されるが、すべてがソフトウェアレベルで完結するものだけならまだしも、ハードウェア制御を司るものまでここを経由するということは、結果は火を見るよりも明らかであろう。
また、Crusoeがメモリサブシステムを統合していたとはいえ、Code Morphingソフトウェアが専用のメモリ領域(例えばGPUにおける専用ビデオメモリのようなもの)を持っており、メモリ帯域を独占することができれば、まだボトルネックのひどさはある程度は解消できただろう。しかし、実際には他のメモリ(DDR SDRAM)と物理的には共用だった(Code Morphingソフトウェア用として独占的に約16MBほど予約され、OS等が利用するメモリとは論理上は分離されていたが)ので、x86命令の変換以上にこの部分がボトルネックとなっていたのである。
この結果がもたらしたものは、Windows XPの起動時間に3~5分程度要するという現実であった。当時としても、この時間はかかり過ぎなのは言うまでもない。Windows XP時代は、まだWindows Vistaの初期のように専らスリープをするよう促される時代でなかったが、VAIO Uに関して言えば、スリープを選択しない場合は、とんでもないほどのシャットダウン・再起動時間を要することとなった。Mobileの利用を前提とするなら、どのような方法であれ、起動時間と終了時間は速い方がいいのは言を待たない。にもかかわらず、究極のモバイルPCであったはずの形態(携帯)を優先した代償が、約3~5分の起動時間では本末転倒でしかない。私もそれなりに使いこなそうと頑張ったVAIO Uだったが、残念ながら続く後継機には二度と手を出すことをしなかった。一方、SONYもTransmeta社のCrusoeに原因があったことは百も承知だったようで、三代目のVAIO UではCrusoeに見切りを付け、SONY特別仕様のMobile Celeron 600A MHz(BaniasのL2キャッシュ512MBカスタマイズ版)を搭載するようになり、Transmeta社の挑戦は、Intel社との戦い以前に「現実」という厚い壁に阻まれたのであった(当時、SONYは前機種の数倍以上のパフォーマンス向上とアピールしていた)。単にその壁を乗り越えることすらできず、研究室(学者。アカデミック)レベルのものでは、いくら技術的・理論的に可能で優れたものであっても「現実」への適用が不適切だった場合は役に立たないという、よく言われる例の一つに加わったと私は見ている。
Crusoeにうつつを抜かしていた頃は、専らデスクトップPCに多くを頼る頃であったので、新規のノートPCにはあまり手を出していなかった。先にもふれたように将来のノートPCアーキテクチャが見えにくかったこともあるが、Transmeta社の挑戦のおかげで、いよいよBaniasの登場が見えてきたからでもあった。Crusoeに対しては、まったく目新しい手法だったことが注目の的だったが、Baniasについては事実上、Intel社最初の、Mobile専用アーキテクチャを実現するべく、マイクロプロセッサ(Banias)のみならずチップセット(Odem)までもがMobile専用設計ということで、私は大きな大きな期待を抱いて見守っていたのであった。
そして、ついにBaniasが正式にPentium Mとしてデビューし、チップセットOdemも含めて搭載されたVAIOノート、VAIO Z(今のVAIO Zとは当然異なる)が登場。無論、私は即座に購入した。そして、BaniasことPentium Mの性能に酔いしれ、これは間違いなくNetBurstマイクロアーキテクチャよりも優れていると実感した。当時、Dual Xeon(Prestonia)をデスクトップPCとして利活用していたが、足回り(周辺機器群)はデスクトップPCにはもちろん及ばなかったが、単純なプロセッサの演算性能は、Hyper-Threadingテクノロジを持つXeonよりも優れていたのである。そして、Xeonは同時期のPentium 4よりも優れていたことは確かであったので、Pentium Mの優位性をこのタイミングで感ずることができたのは幸いだった。
ちょっと横道に逸れるが、Banias登場前夜はNetBurstマイクロアーキテクチャも、Baniasを超越する性能を目指して開発が進められていたのは言うまでもない。それがコードネームNehalemと呼ばれたマイクロアーキテクチャだった。もちろん、現在のNehalemアーキテクチャ(なぜ、Nehalemはマイクロアーキテクチャではなくアーキテクチャと呼称されるのかというそもそもの理由はここにある)とは異なるもので、当時のNehalemマイクロアーキテクチャは10GHzを超える、クロック至上主義の権化であったNetBurstマイクロアーキテクチャのさらなる上を行くものであった(そもそもNetBurstマイクロアーキテクチャも10GHzまでを予定していた)。しかし、結果は、さすがのIntel社といえども物理法則に従わざるを得ないことから、発熱量が増大しすぎるクロックアップには限界があり、4GHzを超えるくらいで頭打ちとなっているのが現状である。これらのことから、Baniasの採った方法は、Mobileプロセッサだけでなく、すべてのマイクロプロセッサの採るべき道となったのであった。
Banias・Odem搭載の初代(先代)VAIO Zは、私に大いなる満足を与えてくれた。先代VAIO Zは、これまでのVAIOノートと一線を画していたのは、薄型軽量というファクタを追求しつつ、性能を大きく伸ばすという、今日のVAIO Zと同じコンセプトで作られたと思えるもので、その後、一定のタイミングで後継機は出現したが買い換えることなく、初代(先代)VAIO Zをしばらく使い続けることになる。これは、Baniasのプロセス縮小版となるDothanが登場しても変わらず、私にとっては比較的長い間、初代(先代)VAIO Zを愛用した。この転機が訪れるのは、やはりIntel Israelが満を持して投入したYonahこと、Core Duoを搭載したVAIO SZが登場したことによる。Hyper-Threadingテクノロジやプロセッサダイを2つ載せただけのDualプロセッサではない、真のDualコアプロセッサであるYonahは、Banias以来の期待を持っていた。だからこそ、SZという薄型という指向に加え、小型という私にとってはあまり意味のない要素を追加したものでありながら、手を出したのである。
VAIO SZは、性能レベルではまったく不満はなかった。しかし、大いなる不満を抱くようになった。それは画面解像度である。デスクトップPCにおいては2000年前後から1600 x 1200という画面解像度を常用し、ノートPCにおいてもVAIOノートの最上位機種で1600 x 1200の解像度を実現した液晶パネル搭載機を利用していた。しかし、初代(先代)VAIO Zが薄型・軽量を指向したことで、液晶パネルの解像度が1400 x 1050で妥協を余儀なくされ、ここまでは我慢をしていたものの、VAIO SZでは1280 x 800という、私にとってはあり得ない画面解像度となったことで大いなる不満を抱くようになったのである。
だが、薄型・軽量というVAIO ZというカテゴリはSZに統合されてしまい、画面解像度をそれなりのものにするには、大きく重いVAIOノートを選択するしかなかった。無論、SONYにだけこだわっていたわけではなく他社のノートPCも見ていたが、ほとんどが安価な指向か、安定路線のビジネス仕様で求めるべきものがなく、情けないが消去法でVAIO SZしか残らないという状況だったのだ。この大いなる不満を解消するのが、復活したVAIO ZというべきVAIO type Zだったのである。ようやく求めるべきものが出た、ということで私は躊躇することなく、初代VAIO type Zを購入したのだった。思えば、画面解像度に不満を持ち続けた2年と言っていいかもしれない。
VAIO type Zになってからは、もう当Blogにそれなりの記事を書いているので、以降はあっさりでいいだろう。いくつかのモデルを経て、VAIO Zと名乗るようになり、Arrandale搭載のVAIOノートを見送る予定であったものが、1920 x 1080という画面解像度を実現した液晶パネル及びGeForce GT 330Mを搭載、という仕様に打ちのめされ、こうしてVAIO Zユーザとなった。
後半は駆け足となったが、私のノートPC遍歴は、マイクロプロセッサの進化以上に液晶ディスプレイ(パネル)にこだわっていることが改めて自分自身で確認できた。最初は、モノクロSTN液晶パネルだったものが、階調表現が可能になり、Dualスキャン(DSTN)でちらつきを抑え、バックライトの品質向上で見やすさの向上に続き、液晶パネルのカラー化。最初はSTN系だったが、TFT系に置き換わり、色数、色再現性の向上も進んだ。一方で画面解像度も640 x 400や640 x 480だったものから、800 x 600、1024 x 768へと進み、ここで一度停滞を迎えるが、液晶テレビの時代に入ってコスト削減が大きく進むと、フルHD液晶パネルまでもがノートPCに載るようになり、ついには13.1インチでフルHDという、一昔前までは信じがたい解像度を実現するようになっている。これを追い求めたのが、私のノートPC遍歴であり、最大のユーザインタフェースが目からの情報だという証だろう。そんなことを確認しつつ、これまで長きにわたって書いてきた本シリーズを終了したい。
シリーズ全体を感慨深く読ませて頂きました。VAIO Z1/P に到達した時には、XWIN II Web の巻頭言を思い出したました。XWIN II さんの記事を参考にしたのだと思いますが、Z1/P 購入時のメモに、Banias は「圧倒的なTDP:22W 1.338V。MicroOP fusion、Advanced Branch Prediction、400MHz FSB、1MB cache、Enhanced Speed Step(1.3,1.2,1.0,0.8,0.6GHz)」等と書いていました。
投稿情報: Josef | 2010/03/27 10:10
Josef様、コメントありがとうございます。
(先代)VAIO Z1/Pが登場して今年で7年経ったわけですねぇ、と感慨深いですが、あの頃の「巻頭言」は今振り返ってみても、どこにこれだけのパワーがあったのかと自分のことながら驚いていたり(笑)。もう一部の方にしかわからないですが、あれだけの中身と分量をよくもまぁ出勤前の30分ほどで書いていたものだと…。30代が最も充実しているというのも、過ぎてみれば納得です(苦笑)。
投稿情報: XWIN II | 2010/03/28 09:01