さてさて、またこのシリーズも随分と間を開けてしまった。前回のその7では約三週間ほどと宣っていたが、今回はさらにそれ以上。ほぼ1か月前である。どこまで話を進めていたか、書いている本人も忘れるほどだったので、読み返したりした(笑)。なるほど、前回の最後に
そして、Portegeを使いながら次に目を奪われたのは、VAIO 505だった…。というところで、次回に続きます。
とあったので、今日まで私が使い続けるVAIOノートの嚆矢である、VAIO 505(PCG-505)について語っていこう。まず、VAIO 505についての説明を簡単にしておく。かれこれ登場してから約12年。干支で言えば一回りするほどの時間が経過しているので、ご存じでない方もあるだろう。VAIO 505は、SONYがVAIOブランドによってPC市場に再戦を挑んだ翌年に登場したノートPCで、スペックだけ見れば、今日で言うならネットブックレベルのものでしかなかった。既にPentium IIに移行しているものが多い中、VAIO 505はMMX Pentium(コードネームTillamook)を搭載。それも動作クロックは200MHzにも満たないものだった。
- MMX Pentium(Tillamook)133MHz
- 430TX PCI Chipset
- L2 Cache 256KB(DRAM)
- メインメモリ 32MB EDO DRAM
- グラフィックス MeoMagic MagicGraph 128ZV+(VRAM 1.1MB)
- 10.4インチTFTカラー液晶パネル(800 x 600)
主なスペックは、以上のとおりである。今となっては懐かしいが、発売当時でもそれほど優れたスペックではなかった。バッテリ持続時間もSバッテリで2時間弱(公式には1.5~3時間)しかもたず、スペック的にはどちらかといえばと断るまでもなく今一だった。だが、決定的に違ったのは、SONYならではといっていいスタイリッシュな外見。今日見て、これがどう映るかは何とも言えないが、当時、無骨なノートPCが多くを占める中、このようなノートPCは珍しいものだった。そして、薄さを追求したことも特筆すべきものであった。世界最薄モデルとはならなかったが、そのような特殊なノートPCは価格が40万円前後、下手をすれば50万円を超えるのも当たり前だったものが、VAIO 505は20万円を切る価格帯で登場したのである。これまで、デザイン的に美しいと言えるものはApple Computer社(現Apple社)のMacintoshシリーズくらいなもので、PCは工業製品という印象が強かったが、このイメージを払拭したのは、まさにVAIO 505シリーズのおかげといっていいかもしれない(反面、壊れやすいという印象も受けてしまうが)。
そのようなノートPCを私は見逃さなかった。これまでも東芝LibrettoやDynabookをはじめ、スペック以上に持ち運びしやすいものを訴求してきていたので、画面サイズはそれほど小さくならずに薄型軽量を実現しただけの理由で飛びついた(重量1.35kg、厚さ23.9mm)。案の定、Mobile Pentium II搭載のToshiba Portegeとはパフォーマンスが比べようがないほど低かったが、持ち運びしやすいという理由が後押しした。そして、一月も経たないうちにメインノートPCはVAIO 505に置き換えられ、パフォーマンスを必要とするものはデスクトップPCに移行するようになった。この頃、デスクトップPCは通常のプロセッサ構成では飽きたらず、Xeonブランドがサブブランドとして初登場した、Pentium II XeonやPentium III XeonをシングルあるいはDualで使うようになっており、このパフォーマンスをノートPCで実現できるはずもなかったので、完全に使い分けを行っていた。このため、ノートPCにはパフォーマンスでなく持ち運びのしやすさ、いわゆるMobilityを求めたのである。
このようにして、VAIO 505をきっかけに今日までVAIOノートが私のメインノートPCになっていくようになるが、やはり、VAIO 505ではパフォーマンス不足が目につくようになり、価格も手ごろだったこともあって次々と買い換えに手を染めていく。だが、デスクトップPC以上にノートPCのプラットホームは将来性が見えない時代であったため、ノートPC自身、デスクトップPCとの差が広がる一方であった。
ノートPCは、デスクトップ以上に高密度に実装する必要を求められ、しかも消費電力も抑えなければならない。これをIntel社はPentiumやPentium IIによって、経験を積み、その結果一つの方向性を打ち出した。それはすべてのプラットホームの統一である。特に、プロセッサコアとチップセット、中でもメモリサブシステムを含むI/O周りに関しては、ノートPCへの実装のしやすさと言うことから、次の2点が強調された。
- L2キャッシュメモリのプロセッサ内部(ダイ)への統合。
- パラレルインタフェースからシリアルインタフェースへの転換。
どちらも実装面積に大きく影響し、そしてクロック引き上げに対するボトルネックの解消を狙っていることがわかるように、これが特にノートPCの設計の困難さに直結していることは言を待たない。だが、この大転換は結局失敗に終わる。その中でも、メモリインタフェースをパラレルからシリアルへと転換する重要なDirect Rambus DRAMの採用は、デスクトップPC向けチップセットでは実現したが、ノートPC向けチップセットではついに市場に登場することなく終わった(巨大なデスクノートPCへのデスクトップPC向けチップセット採用はわずかにあったが)。その象徴は、Celeronブランドで登場予定だったTimnaの失敗によって明らかだろう。Timnaは、メモリサブシステムやグラフィックスサブシステムをプロセッサダイに完全に統合した、今日から見ても先進的プロセッサだったが、Direcr Rambus DRAMの価格高止まりの結果、統合したメモリインタフェースはそのままでは使い物にならず、別途コンパニオンチップを追加してPC100 SDRAM(言うまでもなくパラレルインタフェース)を接続するしかなく、目指す2チップ構成を実現できなくなった。しかも、このコンパニオンチップの不具合が発覚し、そのような後ろ向きなチップの改修作業を伴うことは、そもそも低価格PC向けプラットホームとしては本末転倒であることは自明であり、とうとうTimnaはキャンセル、市場的にはなかったことにされたのだった。そして、Timnaを一つの方向性としていたノートPCのプラットホーム戦略も仕切り直しとなり、Intel社にとってはMobile Pentium 4という大変歪なものをBanias登場までは使わざるを得なかったのである。
結局、市場に登場するノートPCは、デスクトップPC向けでも異例の長命を誇った440BXチップセット(及びその後継、派生版)の時代が長く続き、NetBurstマイクロアーキテクチャへの移行は、デスクトップPC向けプラットホームと同じくSDRAM(及びDDR SDRAM)をメインメモリとしてサポートできるチップセットの登場まで待たねばならず、私もこの時代のノートPCは、Mobile Pentium IIIやMobile Pentium III-Mを搭載したものになっていた。一方で、デスクトップPCはといえば、Hyper-Threadingテクノロジを初めて有効にしたXeonをDualで使っていたこともあって、ますますノートPCとのパフォーマンス差は広がり、この差は何とかならないだろうかと思いつつ、Transmeta社のCrusoeでお茶を濁したりもしていた。
Crusoeについて、ここで若干ふれておこう。
Transmeta社のCrusoeは、低消費電力プロセッサという以上に、ハードウェアレベルではx86プロセッサでないことに注目が集まっていたように思う。Code Morphingという、いわば動的コンパイルによってx86コードをCrusoeのネイティヴコードに変換して実行するというやり方は、当然、過去のしがらみを多く持つx86プロセッサよりも、原理的に対命令実行消費電力という点から優れているだろうし、x86プロセッサ自身もP6マイクロアーキテクチャ以降(ただしAtomを除く)は、x86命令を直接実行するのではなく、μOps(マイクロオペレーション。なお、AMD社のx86プロセッサは別の方式で分割実行している)に分割して実行するという方式を採用していることもあって、x86命令の他命令への変換をプロセッサ内部で行うか、外部で行うかの違いでしかない。実際、一般にはμOPs等への変換はどういうプロセスで行われているかは外部からは知る由がないので、Crusoeの採用する方式によってx86プロセッサに匹敵する性能が得られるならば、x86にこだわる必要がなくなることを意味し、これは大きな市場変動を予感させるものだった。
一方、Intel社もCrusoeに大きな危機感を持っていた。なぜなら、先にふれたようにIntel社のノート(Mobile)PCプラットホームは、予定していた移行方法を実現できず、歪なMobile Pentium 4に頼らざるを得なくなっていたからである。Intel社は、有効な弾であるMobile Pentium IIIの選別品を超低電圧版Mobile Pentium IIIとして用意し、実質、市場にはほとんど供給しなかったプロセッサをもってCrusoeに対抗した。Crusoeも量産体制が進んでいたわけではないので、どうしてもマスメディアのベンチマークテスト対決で雌雄を決するしかなく、幸いにして、多くの場合、超低電圧版Mobile Pentium IIIが勝利した(というよりは勝てるベンチマークテストを行ったというべきなのかもしれないが)。
とはいえ、消費電力というこれまでIntel社がほとんど相手にしてこなかった分野での、Transmeta社の挑戦は、Intel社に新たなノートPC専用プロセッサの市場投入を強く訴求することとなり、本来であれば研究室レベルにとどまるはずだったBaniasが大きくクローズアップされることになる。Tillamook(MMX Pentium)、Katmai(初代Pentium III)、Timna(日の目を見なかった統合プロセッサ)の経験を活かしたBaniasは、クロック至上主義の権化であるNetBurstマイクロアーキテクチャをまったく参考にせず、P6マイクロアーキテクチャを徹底的に省電力指向で改良を進め、設計・製造されたものである。Baniasは、当時最新の微細プロセスを採用することなく、こなれたプロセスルールで製造されたが、同時代のPentium 4よりも動作クロック比で2倍近い大幅な性能向上を示した。これが、Transmeta社のCrusoeの挑戦を退けたばかりか、最終的にはIntel社内のマイクロアーキテクチャ抗争も制し、ついにCoreマイクロアーキテクチャがサーバからモバイルまでのプロセッサで統一されることになるが、それは話がもう少し先のことなので、話をCrusoeに戻すとしよう。
Crusoeの登場が現実のものとなった時、私はこのマイクロプロセッサの性能を超小型PCのVAIO Uに求めた。VAIO Uは「いちばんちいさいVAIO」と自ら表したように、両手でグリップしての操作を前提とした超小型のPCだった。これまでLibretto等で小型PCを体験してきたが、VAIO Uの何に強く惹かれたかと言えば、今回に限ってはCrusoeが搭載されているということが最大の要因だった。しかし、Crusoeは当初喧伝されていたほどの実力を持っていなかった。
まず、Crusoe単独のせいにはできないが、超小型PCであるがため、どうしても消費電力を大きくすることができないために、スペックは控え目のものとなっていた。これはある程度は仕方がない。しかし、Crusoe単独の理由として致命的だったのは、その構造そのものにあった。Code Morphingがボトルネックになったことである。
と、長くなってきたので、この辺で今回はここまで。
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