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2009/05/05

コメント

私が覚えているこの駅は島式ホームで雪谷側に橋がもうけられていました。立正中学に通学していた友人は大崎広小路ではなくこの駅を利用した方が近いと言っていました。現在の雪谷に向かって左側の法面の上に歩道橋が架けられていたことを示す溝が残っていますので駅の位置を推定できます。TOCでも行ったついでに一度現地調査してみます。駅を出て大崎広小路に向かう途中で桐ケ谷斎場の煙突をが遠望できたことが印象的でした。余談ですが旗が岡を出て長原に向かう昇り坂で(環七と平面交差してたため)き電線の容量不足のために夜間の電灯が蝋燭のように暗くなったことを覚えています。今は1500ボルトになってMGで供給されるのでそんなことは起きません。

湯山洋三 様、有意義で貴重なコメントありがとうございます。

昭和初期の大崎町地図を確認したところ、仰せのように立正中学は桐ヶ谷駅からが近いようですね。駅南口(雪ヶ谷側)を出て左折し、品川用水筋の道を通ってもう一度左折後、北側下りの道を歩けば着くようなイメージでしょうか。大崎広小路駅からではいったん右に回り道をして坂を登るので、距離的には近く感ずるのかもしれません。
桐ヶ谷駅跡については、今回得られた見識をもとにもう一度出かけて確認してみたいと私も考えております。
コメントでご紹介いただいた旗ヶ岡~長原や、洗足~西小山は環七通りがいわゆる尾根道にあたるので、この坂を下る(上る)のは600Vクラスの電車では厳しかったのでしょうね。

実家が旗の台にあり、池上線をよく使っています。
桐ヶ谷駅についての詳しい歴史的経過や説明、本当に勉強になりました。また、感激でした。すばらしいレポートだったと思います。で、池上線で、今はもうない駅ということで、もう一つ。「旗ヶ岡駅」があります。そして、これと合併してなくなったのが、大井町線の「東洗足駅」
この二つは、昔は交差するのに、ターミナル駅でないという、「不便な」関係でした。会社がライバルにあったから、という理由だったそうですが、それにしても、と思います。
旗ヶ岡駅、そして東洗足駅。
この、合併により消えてしまった駅の考察も、桐ヶ谷駅のように、瞠目するお話を読ませていただけたら、感激だなと思い、コメントさせていただきました。
慶應グラウンド駅といい、本当に読んでいて嬉しくなります。これからも愛読させていただきますね。

山村律子 様、コメントありがとうございます。そして、返信が遅れてしまい申し訳ございません。ちょうど巴里に滞在していたときで、家人からネット禁止令みたいな感じでやられてまして…。

と、それはともかく池上線の歴史に関しては、桐ヶ谷駅の積み残し分を近週中に予定しており、リクエストとして頂戴しました旗ヶ岡駅についても作成するつもりであると明言させていただきます。ただ、時期については桐ヶ谷駅の後となるかと思います。

以上、よろしくお願いいたします。

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