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2009/05/06

コメント

桐ケ谷駅の歴史を探るその2の保険地図に示されているホームから駅舎への跨橋の支え段が崖の法面に残って居ります。昭和20年5月25日の空襲で焼けた跡も残っていたように記憶しています。私も焼け出されましたので暗い記憶が甦ってきます。

湯山洋三 様、コメントありがとうございます。
(コメントを適切なところにつなぎました。ご容赦願います。)

私も現地を確認してきました。近日中に新たな話題として掲載予定ですが、ご指摘の崖の法面部分も見てきました。ほか、私道部分についても、新たな「発見」(あくまで私にとっての)もありました。
お話しの焼けた跡、というのは元を知らないだけに、単なる汚れ等と区別がつかない為、残念ながら現地を再訪しても私には分からない可能性が高いです。残念。

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