家人は新聞やTVニュースを見ながらこう言う。
「いらないものを買わなくなった、というがこんなことは当たり前」
「必要なものしか買わなくなった、というがいらないものまで買う方がおかしい」
「クルマが売れなくなっている、というがそもそもそこまで消費するのがおかしい」
「人員整理、というがいらない人まで雇用し続けるのではなく、有効活用させるために流動化させる仕組みを作った方が良い」
「派遣村、なんてヤラせはやめてミスマッチしている労働市場に適用できる人材づくりのための受け皿を作るべき」
「不況によって物価が下がり、無駄なものを買わなくなるなら、この不況は継続された方がエコにつながる」
「みんなが豊かになる」というのは幻想であって、一部の搾取者が存在する限り(これはどんな社会形態であれなくなることはない)、そんなものは永遠の課題であり、またエコならぬエゴを持つ一般の人々にとって、一定のレベルに到達してもそれに満足することなく、さらなる高いレベルを求めるようになる。また、競争という美名のもとに浪費・無駄は必ず発生しており、相手を蹴落とそうという闘争はそれを加速するものでしかない。つまり、一定のタイミングでこのような不況がやってこなければ、人間社会(特に資本主義社会)は成り立たなくなってしまうのである。
まぁ家人の意見はわかるのだが、貧乏人の苦労を知っている私(苦笑)は、素直にそれを受け容れることはできない。ただ、間違いなく言えることは盛んに言われているエコはヤラせでしかなく、競争社会による無駄をなくさない限り解決できないというところは同意できる。そんなことを感じた朝だったとさ。
うちの家人に読ませたら、「そうなんだけど、有能な人はその分無能な人を支えて生きていくのが社会だと思う」
最低限の生活保障のことなんですね。
搾取する人は、自分が本質的に無能なことを理解しているから搾取するんじゃないか。
とまで言ってましたね。
それはさておき、雇用の創出を考えるなら、エコ(リサイクル、リデュース、リユース)をすすめる公社を設立して、
全国展開してみればどうかと考えるのは私だけだろうか。
投稿情報: 志葉 京兵 | 2009/01/08 14:05
志葉先生、ご無沙汰しております。
雇用の創出とはいっても、これだけ社会環境が流動的なので、その昔のように一つの仕事をやり遂げたいみたいなものは、本当に一部の優れた方のみが成立するだけで、他の多くの方々にとっては、いかに新たな仕事に「適用」できるか、という点が重要かと思います。
つまり、やる気の問題以前に、一定年齢を超えてしまうと多くの方々(無論例外有)は「適用」すらできなくなる。いわゆる移行期間の世代の方々は、大変申し訳ないんだけど、そこは仕方がない部分(一定の責任を持つの者は言ってはいけないことですが)かと。
競争する中で、儲けを出す。というのは本当に難しいこと。完全競争でないのは、税制から明らかであるのですが、制度を活用できるだけの知識すらない方々については、これまで生きてきた自分へのいい加減さを呪わない限り、明日への展望も開けないのはやむを得ないかな、と。
エコについては、どちらにしても人のエゴなので、私自身はどうでもいいと考えております。所詮、相手のことを思いやるのも自分が尺度でしかないのだから。
投稿情報: XWIN II | 2009/01/10 07:55