さて、前回の続きです。
その流れの中で、DOSからOS/2への移行が進められていたことは、最初からOS/2にとっては悲劇的な結末が用意されていたと、歴史を語るものならそういうだろう。だが当時は、OS/2礼賛という雰囲気が醸成されており、DOSからOS/2へ、そしてWindowsからOS/2 Presentation Managerへ、という流れは多くの人たちが必然のものと受け止めていた。
こうした流れの中で、Microsoft社、いやBill Gates氏は「決断」する。IBM社と袂を分かち、OS/2に代わる新たな32-bit OSの開発すること、そしてその「つなぎ」としてDOS及びWindows(いわゆる16-bit Windows)を改良し、既存のOS/2を乗り越えていくこと。20世紀のPC界で間違いなく10大ニュースの一つに数えることができるであろう、IBM社とMicrosoft社の蜜月の終わりは、PCのイニシアティヴがIBM社からIntel社、Microsoft社連合、いわゆるWintelに移るターニングポイントとなったのである。
OS/2は、IBM社の戦略上、自社の他製品系列(カテゴリ枠)を超えることは許されなかった(同じことは日本においてもNECのPC-9800シリーズが同様な状況にあった)。言うまでもないが、安価なPCが高価なオフコン等よりも性能が高いことが、他事業部が許容できるものではない(社全体の利益となることでも、事業部の利益が優先されることは大企業病の一つとしてありがち)。つまり、32-bit OSになることは許されるはずもなく、必然的にマイクロプロセッサも16-bitにとどめておく必要があったのである。
これらの動機等が複雑に絡まり(話は単純なのだが)、OS/2バージョン3.0として開発途上にあったものが、IBM社の手を離れWindows NT 3.1として生まれ変わったのである。まったく新規に開発したには違いないが、OS/2バージョン3.0としてのコードが滅殺されているわけではなく、部分的に残されていた。
Windows NTの開発に関しては、書籍化されるなど多くの話が明らかになっているが、このあたりの話が明らかになっているものは、一定の刻が必要だった。むしろ、Windows NTはまったく新規に開発され、OS/2などでなくミニコンOSとして由緒あるVMSの後継であるかのごとく喧伝されることが多かった。これは、Windows NTがターゲットとして狙う市場としては当然のマーケティング行為であるが、実はベースに水子状態のOS/2バージョン3.0があったことは記憶にとどめていていいだろう。
Microsoft社がIBM社からの独立を標榜できたのは、Windows 3.0の華々しい成功が後押ししたのは揺るぎのない事実である。もし、Windows 2.x時代のような状況であったのなら、DOSに依存し続けることとなるので、OS/2に命運を託すしかなくなる。しかし、Windows 3.0の成功によって、部分的にOS/2を超える(i80386の32-bitプロテクトモードをサポート)こととなり、i80386の後継であるi80486及びその廉価版であるi486SXの登場、さらにはDRAMの高密度化による価格低下により、32-bitプロテクトモードへの対応は時間の問題となっていたことも大きい。
長いな~(苦笑)。ということで、まだまだ続く。
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