Windows NTの簡単な歴史を語り出して、まだ終わらない。歴史年表そのxというタイトルになっているが、年表すら出していないことはご容赦願いたい。取り急ぎ、Windows NTの歴史はWindows 95の登場前夜あたりまで進め、その後に、Windows 95との互換性問題をふれていくことにする(歴史を振り返る中で、半分以上はふれることになるので)。では、前回からの続きを始めよう。
Windows 3.0の成功によって、OS/2 3.0の後を継ぐ、Microsoft社独自の32-bit OSもWindowsという名を冠することとなる。バージョンも1.0あるいは3.0ではなく、リリース時にあったWindows 3.1と同じバージョン番号である3.1が付けられることとなった。内部アーキテクチャは、従来のWindowsと似ても似つかぬ別物であり、Windows APIが動作するモードでさえ、他のモードと同様にサブシステムの一つでしかなかった。にもかかわらず、ユーザインタフェースをWindows 3.1に似せることで、Windows(NT)3.1を標榜させたのは、Windowsの成功に何とかあやかろうということと、OS/2なのではなくWindowsなのだとMicrosoft社の強き主張が込められていたと見るべきだろう。
こうして、Windowsの皮を着せられた32-bit OSは、Windows NTを名乗り、Windowsファミリーの一員としてデビューを果たした。だが、最初のWindows NT 3.1は、ユーザインタフェースをWindowsに模しただけであり、Windows APIもWindowsに似せてはいたが、表示(ディスプレイ)座標系も大きく異なっていたため、そしてDOSがなかったために互換性の低いものでしかなく、Windowsアプリケーションの多くが動作しなかった。
それは、ハードウェアリソースも多く必要であること、動作速度もカーネルモードとユーザモードの分離が厳格に徹底していたため(安定性にとってはいいことではあるのだが)に、パフォーマンスも大きく劣るものとなった。つまり、より高級なハードウェアを用意したのにパフォーマンスは低く、加えて互換性問題があった。そして、デバイスドライバもごく一部しかないために使用できるハードウェアそのものも少ないとなれば、普及するはずもなかったのである。
Windows NTのデビューは惨憺たるものだった。が、これは当時のハードウェアリソースを見れば明らかであるし、またWindowsそのものもようやく普及の途についたばかりなので、仕方のないことではあった。しかし、重要なのはPC向けに32-bit OSをIBM社と関係なしに、IBM社に先んじてリリースしたことである。この意義はとてつもなく大きい。近い将来には、32-bit OSは間違いなく主流になるのは確実な上、将来的に16-bitの世界であるDOSやWindowsが32-bitの世界に移行する際の受け皿として、Windows NTがあるというだけで価値があった。
その証拠に、IBM社はWindows NT 3.1が成功したわけではないのに、急遽、従来の方針を転換して、OS/2の32-bit化を進めることになった。拡大するPC市場は、今や、従来の高価なオフコン等を置き換えるばかりか、それらを乗り越え大きく成長しようとしていたのである。
またしても長いな~(苦笑)。ということで、まだまだ続く。
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