ロシアのクリミア半島への侵出について、欧米が反発しているが、欧米のうちのEUもけっして一枚岩ではなく、ドイツやフランスは穏便に事を運びたい思惑が見え隠れする一方で、ロシア(ソ連)に痛い目を見たところは強硬な姿勢を示すよう主張している。
中でもポーランドは、近代以降においても18世紀末のポーランド分割、20世紀の第二次世界大戦とその後のワルシャワ条約機構への組み込みは、今もロシアへの警戒からか、強硬な姿勢の急先鋒といえる。しかし、ソ連崩壊後、ポーランドってロシアと直接国境を接していたっけ? と思って調べてみたら──
Google Mapより
よくよく思い起こせば上地図に示したように、ロシアの飛び地(薄く赤色で表示)に国境を接していたのだった。
と、今さらながら気付いたと言うだけで、今回はあっさりここまで。
エマヌエル カントのゆかりの地であるケーニッヒスブルグも今はロシア領であり、バルト海の入り口の戦略的観点から容易には手放す気配はありません。フリードリッヒ大王以来取ったり取られたりした所ですが、ロシアはエネルギー源を握っているので強気に出るでしょう。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2014/03/14 12:43