以前、当blog記事「旗ヶ岡駅の歴史を探ってみる その9」に対するコメント欄にご意見を頂戴したうちの回答の一部となる「平塚町第二耕地整理組合第一工区」(なお、発足当初は「平塚村~」)のエリアを耕地整理確定図から航空(空中)写真に落とし込んでみたい。
上図は、大半が東京都品川区で、一部が東京都大田区(左下辺り)、東京都目黒区(左上辺り)となっている。橙色で囲んだのが「平塚町第二耕地整理組合第一工区」で、概ね旧荏原郡大字中延の北半分にあたる。ちなみに大字中延の南半分(半分と言うよりは実際は3分の1ほど)は「平塚町耕地整理組合」で、別組合となっている。なお、第二耕地整理組合の第二工区は、第一工区の北側に位置する大字戸越の一部が該当し、その範囲は第一工区の4分の1程度だ。
なお、参考までに上図の緑色で囲んだのは、田園都市株式会社が一人(単独)施工した耕地整理のエリアで、大半が洗足住宅地の第一期分譲地となっている。
といったところで、今回は簡単にここまで。
しばらく拝見できないうちに、お示しいただき、素晴らしい!につきます。
図の緑と橙の間は小山耕地整理事業、さらにその北には三谷(さんや)耕地整理事業があったようですね。
また、三谷耕地整理は目黒線までで、目黒線から北側は、荏原町から碑衾町にかけて、町界をまたいで「碑文谷耕地整理事業」があったかと思います。この碑文谷耕地整理事業の対象となった荏原町の土地は、字名も「滝原下」とか「弁天町」とか字名まで変更されたようですが、このあたりのことも御存じの情報がありましたら、お教えいただけると幸いです。(この字名も碑文谷耕地整理事業が完成した昭和5年から、荏原郡荏原町が東京市荏原区になった昭和7年までの2年ほどの命だったようですが)
投稿情報: 地番マニア | 2014/04/15 05:42
コメントありがとうございます。
三谷・碑文谷双方の耕地整理図についても、写しが手もとにありますので、これも追々お示しできればと考えています。
投稿情報: XWIN II | 2014/04/15 06:28
ありがとうございます。三谷耕地整理事業の対象地は、多くが荏原町の大字小山だと思うのですが、大字小山の中に、大字中延の飛地(字大上)や、大崎町大字谷山の飛地(字平滝)があり、これらの一部も三谷耕地整理の対象となっていると思われ、そのあたりの正確なところが長い間疑問となっておりました。
投稿情報: 地番マニア | 2014/04/15 19:06
全国には飛び地と呼ばれる所がありますが、小山の場合は旗本の知行地の関係であったと聞いております。土地の権利関係は今も昔も複雑すね。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2014/04/16 09:18