小野田寛郎さんの訃報を耳にし、すぐさま思い出したのはあの「敬礼している写真」であるが、当時の新聞紙面で確認しようかと古い新聞を確認していたところ、今では考えられないような記事表現を目にしてしまった。
これは、1974年(昭和49年)3月11日の朝日新聞朝刊1面に掲載されていた記事で、小野田さんの帰国にあわせご両親が羽田で対面するなど、帰国後の動静について伝えている。注目は、記事最後にさらっとふれている「この2行」だ。
「なお、小野田さんの病室は十五階の一五〇八号室。」 今では考えられないが、何と小野田さんの入院先のみならず、どの病室なのかという情報まで掲載されているのだ。報道の自由、どこまで自由なのかという議論は今日も喧しいが、時代によって揺れ動くものなのだと改めて感じつつ、今回はここまで。
ここまで報道するとは今日では予想もつきませんが、逆に考えるとそれだけ当時の一般の人が良識をもって行動してたと言えるのではないでしょうか。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2014/01/19 13:28
私がよく読んでいた、少年キング、少年サンデー、など漫画雑誌は昭和37年ころから43年ころまで欄外に小さな活字で”作者のOO先生に励ましのお手紙を出そう”なんて作者の住所が書かれていました。まだ少年ジャンプはありませんでしたね。そのころの俳優名鑑なども現住所が書いてあります。そんな時代だったのかな。
投稿情報: デハ3300 | 2014/01/19 23:50
洗足田園都市には、若尾文子氏が住んでおり、小学校同級生男子数人、何回か足を運んで、お手伝いさんと話をし、サイン色紙をゲットしたそうです。これも住所が小学生でも調べられた、ということですよね。また、デハ3300さんおっしゃるとおり、漫画の作者の住所もすぐわかり、同級生男子グループは、さいとうたかを氏だったか川崎のぼる氏だったかの仕事場にも出没してサインもらったとか。おおらかな時代だったのですね。
なお、若尾氏の邸宅跡は、割と最近売りに出されました。その土地は、6分割されて売りに出されていたような気がします。
投稿情報: りっこ | 2014/01/20 07:29
デハ3300様
昔有田八郎は女性問題の怪文書を選挙前に配布されて落選したことがありましたが、他方アメリカ合衆国では、ルーズベルト大統領の2度目の選挙戦のさなかに、新聞記者が女性問題を嗅ぎ付けましたが、ナチスとの戦いを前にして、これを公表することは国益に反すると言うことで、国家権力ではなく新聞記者同士の話し合いで記事にしなかったという話を聞いたことがありますが、「仁義無きき戦い」ではなく良識ある人々の暗黙の同意があったなつかしい時代だったのですね。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2014/01/20 08:30