あけましておめでとうございます。当blogも今年で足かけ9年目に突入しました。本年も徒然と展開していきますので、よろしくお願いいたします。
さて、元旦は、初詣と称して東京都大田区の千束八幡神社まで出かけてきた。
千束八幡神社の歴史は古く、伝承によれば貞観二年(860年)だという。貞観と言えば、東日本大震災で改めて注目された貞観大地震(と大津波)や富士山の大噴火、政治の世界では応天門の変が起こるなど、波乱に満ちた年代の創建だといえる。
鳥居の横には石柱があり、「村社八幡神社」とある。旧社格は村社であって、馬込村千束の八幡神社であったことが確認できる。一般的に村社は村に一つ(明治の大合併以前の村)であったことから、馬込村と千束は別格であったこともうかがえよう。
なお、千束八幡神社は池畔にあるので、このように離れてみるとその様子がわかるだろう。写真右側に架かる橋は、近年整備された池月橋(いけづきはし)で、通行上の用途でなくあくまで風流を楽しむ園内橋である。
池月橋の向こうに見えるのは、耕地整理の残土によって埋め立てられたところにつくられた弁天社。平成につくられた池月橋と昭和初期につくられた弁天社。どちらも大正以前になかったものだが、風景からではなかなかそのことに気付きにくいものだろう。
池月橋と同時期につくられたものに、名馬池月の像がある。これは見た目も新しいので、そんなに古いものではないだろうと思うが、1997年(平成9年)にできたものだといえば驚く方もあるだろう。銅像の台座には説明標があり、以下のように記載されている。
名馬池月の由来
治承四年(一一八〇年)源頼朝が石橋山の合戦に敗れて後、再起して鎌倉へ向かう途中ここ千束郷の大池(今の洗足池)の近く八幡丸の丘に丘に宿営して近隣の見方の参加を待った。
或る月明の夜に何処からか一頭の駿馬が陣営に現われ、そのいななく声は天地を震わすほどであった。家来達がこれを捕えて頼朝に献上した。馬体はたくましくその青毛は、さながら池に映える月光の輝くように美しかった。これを「池月」と命名し頼朝の乗馬とした。
寿永三年(一一八四年)有名な宇治川の合戦に拝領の名馬池月に佐々木四郎髙綱が乗り、磨墨に乗った梶原源太景季と先陣を競い、遂に池月が一番乗りの栄誉に輝いた。と、史書に伝えられている。
ここに名馬池月の銅像を造り、この名馬池月発生の伝承を永く後世に伝えようとするものである。平成九年十月吉日
洗足風致協会創立六十五周年記念
社団法人 洗足風致協会
なお、池月については、この地以外にも伝承があって、実際にここであったかどうかは確定できない。ただ、この地に伝承が残っていることに意味があり、東急大井町線北千束駅の開設当初が池月駅であったことも、地元にとってはこの伝承を大事にしている証だろう。
と、単なる初詣だけではなく、地域がその歴史を大事に保存、記録していることに敬意を表しつつ、今回はここまで。
あけましておめでとうございます。
洗足池のお写真、ありがとうございます。私は今年、ここでお花見をしようと友人と計画を立てましたら、地元の友人から「洗足池は、花見宴会禁止になったよ」とのことでびっくり。「洗足池での花見」楽しみだったのになぁ。桜の樹木の衰えからでしょうか。一時的措置なのか、恒久的禁止なのか。恒久的だったら寂しいです。
投稿情報: りっこ | 2014/01/04 10:29
謹賀新年
貞観という年号はその意味とは裏腹に波乱の多い時代でしたね。東急は池上電鉄に対抗して洗足公園と駅名を変更しましたが、生月という名前は町会として残り、北千束の駅の手前の踏切脇に町会の名前が付いた街灯があったことを記憶しております。この辺は馬込の地名が示す通り馬を育てていた関係かもしれませんが臼田坂上にする墨の墓があります。
洗足池の桜山の桜も東工大の桜や石川台の桜と同様に寿命が来たようですね。東工大の場合は簀子で覆って花見ができるようになっていますが、地形の関係でしょう。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2014/01/05 09:01