昨年末は、東京城南地域を通る中原街道、第二京浜の交差点名についてあれこれ語ってみたが、今回は箱根駅伝にからめて第一京浜について語ってみよう。ちなみに箱根駅伝のコースで第一京浜と重なるのは、東京都港区の芝五丁目交差点から東京都品川区、東京都大田区の六郷橋までとなっている。第一京浜は、六郷橋を渡って神奈川県に入っても引き続き第一京浜となっているが、本シリーズは都内に限定していることからここまでとする。
第一京浜は、東京都港区東新橋一丁目から始まるが、ほぼすべてが旧東海道、そして現在の国道15号線と重なる。我が国の道路元標は日本橋にあり、それは国道1号線及び4号線の起点でもあるが、国道のナンバーとしては日本橋からすぐの日本橋交差点から旧東海道は国道15号線を名乗り、旧東海道のほとんどが国道15号線となっている。東京都の通称道路名としては都心方向は中央通りと呼称し、東新橋一丁目付近から第一京浜となる。なお、起点には交差点名はなく(名前はないのだが、中央通り、昭和通り、外堀通りの起終点でもあるのだ)、次の交差点となる新橋駅前から名付けられている。
では、第一京浜の交差点名を列挙しよう。
- 新橋駅前
- 新橋五丁目
- 浜松町一丁目
- 大門
- 浜松町二丁目
- 金杉橋北
- 金杉橋南
- 芝四丁目
- 芝五丁目
- 田町駅西口
- 札の辻
- 高輪大木戸跡
- 泉岳寺
- 高輪二丁目
- 品川駅前
- 八ツ山橋
- 新八ツ山橋
- 新八ツ山橋東詰
- 北品川
- 北品川三丁目
- 北品川二丁目(山手通り)
- 南品川四丁目
- 南品川五丁目
- 青物横丁(池上通り)
- 南品川三丁目
- 大井消防署前
- 南大井一丁目
- 鈴ヶ森
- 大森海岸駅前
- 大森北
- 平和島口
- 大森スポーツセンター前
- 大森東(環七通り)
- 大森橋
- 大森警察署前(産業道路)
- 大森町駅入口
- 梅屋敷駅入口
- 大田区体育館前
- 東蒲田二丁目
- 夫婦橋
- 京急蒲田駅前
- 南蒲田(環八通り)
- 蒲田消防署前
- 東六郷一丁目
- 東六郷二丁目北
- 雑色駅入口
- 仲六郷三丁目
- 東六郷三丁目
- 六郷橋北詰
- 六郷土手(旧多摩堤通り)
東京都港区から東京都大田区まで50交差点。では、以下より各々の交差点について、あれこれ語っていこう。
新橋駅前(しんばしえきまえ)
ゆりかもめの高架線が蓋をしてしまった格好なので、新橋駅前といいつつ、不案内の人にはピンとこないかもしれない。しかし、新橋駅前であることに変わりはないので、交差点名としてはまったく問題ないだろう。
新橋五丁目(しんばしごちょうめ)
交差点は、新橋五丁目のほか新橋四丁目、東新橋二丁目との境界でもあるが、ここでは新橋五丁目が採用されている。
浜松町一丁目(はままつちょういっちょうめ)
交差点は、浜松町一丁目のほか東新橋二丁目、新橋六丁目、芝大門一丁目との境界でもあるが、ここでは浜松町一丁目が採用されている。
大門(だいもん)
都営浅草線及び大江戸線の大門駅が地下にある。由来は、芝増上寺の大門だが、これよりもさらに近い交差点に芝大門がある。とはいえ、大門交差点といえば市電の停留所からの伝統からやはりここになる。
浜松町二丁目(はままつちょうにちょうめ)
ここに交差点名が付与されるほどの交差点か、というと疑問符が付く。交差する道路は、東は浜松町駅で止められ、西は芝公園で同じく止められており、道路幅員もけっして広くはない。にもかかわらず、信号が設置されその上で交差点名までもが付与される。歴史的な理由でもあるのだろうか…。
金杉橋北(かなすぎばしきた)
古川(上流は渋谷川)に架かる金杉橋が由来だが、古川上を首都高速都心環状線が走るため見通しが悪く、川を挟んで南北それぞれに交差点名が付けられている。そのため、金杉橋南交差点とは50メートルも離れていない。
金杉橋南(かなすぎばしみなみ)
金杉橋北でふれたとおり。
芝四丁目(しばよんちょうめ)
交差点は、芝四丁目のほか芝一丁目、芝二丁目との境界でもあるが、接する4つの街区のうち2街区が芝四丁目に属していることから名付けられた──と言い切れないが、まぁそういうことである。
芝五丁目(しばごちょうめ)
三叉路の交差点。隣接する3街区のうち2街区が芝四丁目だが、先に芝四丁目を交差点名に使用していることから、芝五丁目となるのは無難な選択だと言える。日比谷通りとの交点(起終点)であるが、ここより箱根駅伝のコースと重なる。
田町駅西口(たまちえきにしぐち)
JR田町駅の西口に面するからだが、方位としては東西というよりは南北の方が適当に思う。また、それを訝ってか、JRでは西口を三田口、東口を芝浦口としたいようだが、交差点名やバス停名などは変わりそうにない。
札の辻(ふだのつじ)
有名な札の辻交差点だが、実は信号機に標識が付いておらず、縦横に走る歩道橋に記載されている。このため、交差点名としてどうしようかと考えたが、道路交通情報等で当たり前のように「札の辻交差点」と呼称されていることから正式交差点名扱いとした。札の辻という名前については、各地域で見られるように江戸期の高札場が設けられたことに由来する。
高輪大木戸跡(たかなわおおきどあと)
江戸期にあった大木戸門に由来する。
泉岳寺(せんがくじ)
泉岳寺門前に通ずる道路と接続する交差点。都営浅草線泉岳寺駅が地下にあるが、東京市電以来に由来する由緒ある名称。
高輪二丁目(たかなわにちょうめ)
交差点は、高輪二丁目のほか高輪三丁目、港南二丁目との境界でもあるが、ここでは高輪二丁目が採用されている。
品川駅前(しながわえきまえ)
まさに駅前。今では巨大な品川駅だが、駅前広場は京急(京浜急行電鉄)線が乗り入れて以降、大きく変わっていない。一方、交差点と反対側の港南口は大きく変貌を遂げている。
八ツ山橋(やつやまばし)
JR線を跨ぐ陸橋。旧東海道との分合点。八ツ山橋は、我が国最初の跨線橋。我が国最初の鉄道建設にかかわるものなので、自明ではある。八ツ山は、現在からはまったく想像もできないが、江戸末期の品川台場建設(埋立て)工事に伴い、山(台地)部が切り崩されたために失われている。
新八ツ山橋(しんやつやまばし)
JR線を跨ぐ陸橋。第一京浜拡幅工事による八ツ山橋に代わる跨線橋として新設された陸橋に由来する。
新八ツ山橋東詰(しんやつやまばしひがしづめ)
JR線を跨ぐ陸橋。新旧東海道の分合点。
北品川(きたしながわ)
品川駅の南にあるのに北品川だと揶揄されるが、品川駅は単に品川宿の最寄りであって、本当の品川はこちらとなる。江戸期の品川宿は北側より、品川歩行新宿、北品川宿、南品川宿と分かれており、北品川は北品川宿に由来する。
北品川三丁目(きたしながわさんちょうめ)
交差点の東側は北品川二丁目、西側は北品川三丁目となっているが、ここでは北品川三丁目が採用されている。北馬場とするのもありかと思うが…。
北品川二丁目(きたしながわにちょうめ)
山手通りとの交差点。ここも交差点の東側は北品川二丁目、西側は北品川三丁目となっているが、こちらでは北品川二丁目が採用されている。
南品川四丁目(みなみしながわよんちょうめ)
交差点は、南品川四丁目のほか南品川一丁目、南品川二丁目との境界でもあるが、接する4つの街区のうち2街区が南品川四丁目に属していることから名付けられた──と言い切れないが、まぁそういうことである。
南品川五丁目(みなみしながわごちょうめ)
どうということはない狭い道路と交差しており、そもそもここに信号が必要かと思うようなところに交差点名まで付した交差点である。が、この細い道路は江戸期以前からの地域主要道であって、今ではJR東日本東京総合車両センター等に塞がれてしまっているが、往事は蛇窪(品川区二葉、豊町など)を経由し、馬込方面に接続していた。
青物横丁(あおものよこちょう)
池上通りとの交差点。ここも札の辻交差点と同様に信号機に標識がなく、歩道橋に記載されている。京急青物横丁駅に隣接しているが、駅名にこの名が採用されていなかったなら、まったく別の交差点名となっていただろう。
南品川三丁目(みなみしながわさんちょうめ)
りんかい線が地下を走る。交差点は、南品川三丁目のほか南品川五丁目、東大井一丁目、東大井四丁目との境界でもあるが、ここでは南品川三丁目となっている。それにしても、北から南に進んでいって、交差点名が南品川四丁目→南品川五丁目→南品川三丁目(4→5→3)と進むのはいかがなものかと思う。住居表示が街区制を採っているので仕方がないが…。
大井消防署前(おおいしょうぼうしょまえ)
交差点に大井消防署がある。
南大井一丁目(みなみおおいいっちょうめ)
江戸期以前から大井地域の主要道との交差点。今では勝島方面に行く道路ともなっている。交差点の東側は南大井一丁目、西側は南大井四丁目となっているが、ここでは南大井一丁目が採用されている。
鈴ヶ森(すずがもり)
北品川で分かれた旧東海道と合流する地点。ここも信号に標識はなく、歩道橋に記載されている。鈴ヶ森と言えば、この地に刑場があったことが知られるが、丸橋忠弥をはじめ天一坊といった政治犯(や世情を騒がせた)らが処刑されたことで著名になった地名となるだろう。
大森海岸駅前(おおもりかいがんえきまえ)
ここも信号に標識はなく、歩道橋に記載されている。
大森北(おおもりきた)
交差点と接続する道路は、池上通りと接続する都市計画道路として建設されたが、JR線を越えることができないまま、50年以上経過している。交差点は、大森北二丁目、大森北三丁目、大森本町一丁目に接し、うち2街区が大森本町一丁目となっているが、なぜか丁目の付かない大森北とした理由は不明である(未調査)。
平和島口(へいわじまぐち)
戦前にわずかに埋め立てられていた頃からの平和島への入口。
大森スポーツセンター前(おおもりすぽーつせんたーまえ)
前、というが実際は多少奥まったところにある大森スポーツセンターに由来。
大森東(おおもりひがし)
環七通りとの交差点。交差点は、大森本町二丁目、大森東一丁目、大森北六丁目、大森西二丁目にそれぞれ接しているが、なぜか大森東が採用された。理由は未調査。ただ、どちらかといえば平和島駅入口の方がよさそう。
大森橋(おおもりばし)
交差点南側100メートルほど先にある内川に架かる橋名から採用された。
大森警察署前(おおもりけいさつしょまえ)
産業道路との交差点。旧東海道(三原通り)との合流点。大森警察署は、かつて大森区役所のあったところで、このあたりが米軍の空襲を受けた際も鉄筋コンクリート造だったこともあって生き残った。今は建て替えられたが、戦後しばらくの間は迷彩塗装の跡が残る建物だったことで知られる。
大森町駅入口(おおもりまちえきいりぐち)
京急線大森町駅が近い。
梅屋敷駅入口(うめやしきえきいりぐち)
京急線梅屋敷駅が近い。
大田区体育館前(おおたくたいいくかんまえ)
1964年の東京オリンピックに合わせてこの地に大田体育館がつくられたが、近年建て替えられ大田区総合体育館として生まれ変わった。体育館の向かいは、梅屋敷公園で明治天皇が行幸されて以降は「聖蹟」と冠称されもしたが、京急線と第一京浜の拡幅に挟まれ、今では往時を偲ぶ縁もない。世が世なら、聖蹟梅屋敷公園前という交差点名になったかもしれない。
東蒲田二丁目(ひがしかまたにちょうめ)
蒲田駅東口から通ずる広復員道路との交差点。交差点の東側は東蒲田二丁目、西側は蒲田三丁目となっているが、ここでは東蒲田二丁目が採用されている。
夫婦橋(めおとばし)
呑川に架かる橋名から採用。かつてはこのあたりで呑川が二流に分かれ、それぞれに橋が架けられた二つの橋を夫婦に見立て夫婦橋となった。現在の橋は一つのみ。
京急蒲田駅前(けいきゅうかまたえきまえ)
地上駅だった頃は、京急空港線の踏切が近くにあったことで知られるが、今では踏切がなくなった代わりに巨大な高架施設が存在感を示している。
南蒲田(みなみかまた)
環八通りとの交差点。近年、立体交差化となった。交差点は南蒲田二丁目が2街区、ほかに蒲田四丁目、蒲田本町一丁目が接するが、南蒲田二丁目ではなく単に南蒲田としたのは不明である(未調査)。
蒲田消防署前(かまたしょうぼうしょまえ)
交差点に蒲田消防署がある。かつてはこの付近に出村駅があった。
東六郷一丁目(ひがしろくごういっちょうめ)
交差点の東側は東六郷一丁目、西側は仲六郷一丁目となっているが、ここでは東六郷一丁目が採用されている。
東六郷二丁目北(ひがしろくごうにちょうめきた)
他に東六郷二丁目という交差点がないにもかかわらず、この名となっているのは東六郷一丁目と二丁目の境界にあるからと思われる。
雑色駅入口(ぞうしきえきいりぐち)
京急線雑色駅が近い。
仲六郷三丁目(なかろくごうさんちょうめ)
これまで東六郷が採用され続けていたのに、ここで仲六郷となるのは、この次の交差点が東六郷三丁目だからである。とはいえ、東六郷三丁目北という線もあったと思うのだが…。交差点と合流する狭い道は、江戸期以前よりの古道である。
東六郷三丁目(ひがしろくごうさんちょうめ)
ここも交差点と合流するのは狭い道だが、おそらく信号機の設置された理由は六郷小学校への通学路によるからだと思われる。
六郷橋北詰(ろくごうばしきたづめ)
その名のごとく、六郷橋を渡る直前で、第一京浜はここから六郷橋を渡ると神奈川県となる。
六郷土手(ろくごうどて)
第一京浜からそのまま六郷橋を渡る際には、この交差点にお目にかかることはない。橋を渡らず、旧多摩堤通りに向かう際にこの交差点がある。
以上、50交差点について簡単にふれてみた。箱根駅伝も8区に入っており、これからTV観戦に集中しようとしつつ、今回はここまで。
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