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2013/03/10

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関東大震災の悲惨さを目の当たりにした私の父は、瓦屋根の家が倒壊している様子を見て新築した家の屋根は今日で言う軽量化の一環として天然スレート葺きとしましたが、皮肉なことにその後地震に襲われる前に、アメリカ空軍の焼夷弾攻撃には無力であったことを思い知らされました。予測不能は世の常ですが、灰燼に帰した我が家を見た時に、一つの事象に囚われることなく、時には視点を変えて物事を観察することも大切であることを痛感されました。今にして思えば世田谷辺りの郊外に移転すること勧めた父の知人の言葉に素直に耳を傾けるべきであったと思いました。3月11日の津波の犠牲者の多さに驚かされますが、昭和20年3月10日の東京大空襲による犠牲者の数が推定10万人であったことを思うと、人災も犠牲者の数だけみれば、自然より残酷であることを思い知らされた経験でした。

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