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2013/02/20

コメント

XWIN II 様
松沢村
電話局名にもなった松沢村が合成語であったとは知りませんでした。京王電鉄の八幡山も以前は松沢であったように記憶しております、例の問題で住民の忌避にあって名前を変更したのだと羽根木町に住んでいたクラスメートが話していたことを思い出しました。

その、中身は何も知らなくても、「松沢病院」というのは、小学校のころから、何となく皆の間に行き渡ったキーワードでした。「松沢」という名が、そういう経緯でついたこと、初めて知りました。ありがとうございます。

コメントありがとうございます。
さて、松澤ですが、件の病院の存在が大きいのは疑いようのない事実ですね。土地のイメージというものが、何に依拠するのかという一例かと思います。あと、合成地名にしても読みやすさとか、既存の名称に近いとか、そういった感覚が当然ですが認められます。碑文谷と衾で、碑衾とするか衾碑文谷とするかというのはともかく(正直どっちもどっちかと…)、上北澤と松原の組み合わせでは松澤のほかにも北原とかがあるわけで。単に合成地名であると片付けるのではなく、どのようにしてその組み合わせとなったのかのルーツも時代によってだと思うのです。

明治以前も世田谷って複雑だよ。他もそうでしょうが。
豪徳寺の井伊家の墓の前に行ってみるといいよ
どこの家のお墓があるか?
井伊下屋敷が明治神宮でしょ。どの家が杜を育てたか?
繋がるんだな

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