東京府荏原郡における明治期の町村制施行時の変遷過程シリーズ第18回目となる今回は、荏原郡駒澤村をとりあげる。では、いつもどおり第一次案から見ていこう。
馬引澤村 = 上馬引澤村 + 下馬引澤村 + 野澤村(入会地字熊野谷を除く) + 深澤村 + 世田ヶ谷村新町 + 世田ヶ谷村飛地字新町北裏甲乙・字狸谷・字下町・供養塚(用賀道以東)+ 下野毛村飛地字深原1737~1740番地
明治12年(1879年)に中馬引澤村を上馬引澤村が合併しており、上・中・下馬引澤村を合わせれば、大村であるので合併後の村名としては妥当であった。しかし、いかんせん馬引澤という名称は今一つだったようで第二次案では、
駒澤村 = 上馬引澤村 + 下馬引澤村 + 野澤村(入会地字熊野谷を除く)+ 深澤村 + 世田ヶ谷村新町 + 弦巻村(字細谷戸・字勝光院下・八幡脇のうち黒駒道西北を除く)+ 世田ヶ谷村飛地字新町北裏甲乙・字狸谷・字下町・供養塚(用賀道以東)+ 下野毛村飛地字深原1737~1740番地
と、馬引澤村から馬に因んで駒澤村と改称。さらに、世田ヶ谷村から弦巻村(大部分)の異動が行われた。なお、隣接する世田ヶ谷村では最終案、施行時においても揉めに揉めて異動が激しかったが、駒澤村は第二次案がそのまま変更なしで踏襲される。最終案は、
駒澤村 = 上馬引澤村 + 下馬引澤村 + 野澤村(入会地字熊野谷を除く)+ 深澤村 + 世田ヶ谷村新町 + 弦巻村(字細谷戸・字勝光院下・八幡脇のうち黒駒道西北を除く)+ 世田ヶ谷村飛地字新町北裏甲乙・字狸谷・字下町・供養塚(用賀道以東)+ 下野毛村飛地字深原1737~1740番地
と変わらず、施行時でも
駒澤村 = 上馬引澤村 + 下馬引澤村 + 野澤村(入会地字熊野谷を除く)+ 深澤村 + 世田ヶ谷村新町 + 弦巻村(字細谷戸・字勝光院下・八幡脇のうち黒駒道西北を除く)+ 世田ヶ谷村飛地字新町北裏甲乙・字狸谷・字下町・供養塚(用賀道以東)+ 下野毛村飛地字深原1737~1740番地
とそのまま変わることはなかった。だが、馬引澤村が嫌われ駒澤村となったように、大字名として継承された大字上馬引澤と大字下馬引澤は、駒澤村が町制施行して駒澤町となった際、大字上馬と大字下馬と「引澤」が省略されることになる。無論、東京市編入時でも上馬、下馬が町名となり、馬引澤が復活することはなかった。比較的、村名が残る傾向の高い世田谷区域であるが、馬引澤は省略形としてのみ生き残ったとなるだろう。
一方、駒澤は大学名に採用されるなど、今日でも比較的強い地名となっている。といったところで、今回はここまで。
今迄で一寸気が付いたことですが、世田谷区は大田区と比較して沢の付く地名が多いような気がします。大田区は谷の付く地名が多いような気がしますが、武蔵野台地の奥の方が沢の付く地名が多いのでしょうか。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2013/02/21 09:55
現在の世田谷区領域の村々には、仰せのように澤(沢)の付く名が多いですね。興味深いのは、一番手前にあるように見えるのが「奥」澤だということです(笑)。荏原郡のみならず、のちに世田谷区となる北多摩郡の廻澤もありますね。なお、「谷」については同じくのちに世田谷区となる北多摩郡に、祖師ヶ谷、粕谷とかもあるので、区はともかくこのエリアに多いということかと。
投稿情報: XWIN II | 2013/02/24 08:26