前回の「品川町」編に続いて、今回は大井村の変遷について見ていこう。まずは、第一次案から。
大井村 = 大井村
ご覧のとおり、大井村は単独村で構成するようになっていた。これは江戸期以来、いわゆる大村だったからであった。そして、単独村で起立する方針であったことから、大井村については第二次案の対象からは外されていた。なぜなら、第二次案は町村会宛に諮問されたものであり、主に合併村の組み合わせに関することが議論の対象だったからである。つまり、単独で構成されるため、被合併村間の調整が不要だったのだ。なので、大井村は第一次案に続いて、いきなり最終案となる。
大井村 = 大井村
最終案でも大井村は単独村で構成と変わらず。そして実際の施行においても、
大井村 = 大井村
と、単独村での施行となった。そうなのだ。大井村はごくごくわずかな境界変更を除けば、基本的に江戸期の村落をそのまま市制町村制の時代でも継承したのである。その後、東京市編入時には隣接する品川町と大崎町と合併して品川区を構成し、広域行政地名としては消滅するが、大井の名は町名に現在も引き継がれている。ほかには、JR京浜東北線の駅名として大井町駅があり、東急電鉄の大井町線と路線名にも使用されるなど品川ほど著名ではないものの、東京城南地域ではよく知られた地名として今日まで健在である。といったところで、今回はあっさりとここまで。
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