出土橋、タイトルにも記したように「でどばし」と読む。場所は、東京都大田区中央四丁目20番と31番にまたがるところで、ゼンリンの電子地図で示せば以下のとおりとなる。
大きい地図・ルート検索 ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )
もちろん、現在は橋のようには見えない。以下の交差点横断歩道やや左寄りあたりに川が流れ、同じく横断歩道あたりに橋が架かっていた。これが出土橋である。出土橋は今にいう旧池上通りが内川を渡るところで架橋されていた。
それを示すのが、上写真右側に見える石碑で、
だいぶ下部が汚れて見にくくなっているが、上側には「いにしえの東海道」と書かれているように、江戸以来の東海道ではなく、それ以前の東海道(平間街道と言ったり、相州鎌倉街道、池上道など様々な呼称がある)だったことを示している。さらにこの右奥には、
葉で一部が隠れて読みにくいが、「旧新井宿出土橋跡」とある。旧新井宿とは、もちろん当該地域の旧地名(とはいえ、新井宿という名は区の出張所や小学校などかなり残っている方である)で、住居表示制度前までは新井宿○丁目として。東京市に合併される前は荏原郡入新井町の大字新井宿として。さらに1889年(明治22年)の市制町村制施行前には荏原郡新井宿村として、長い歴史を持つ由緒ある名である。
なお、出土橋という名前自体は最近ではほとんど聞かれることはないが、現在でも電柱に「出土橋支線」とあるように、出土橋はかつてこの地域ではそれなりに名の通ったものであることが伺える。数年(十数年?)程前までは、交差点に面する歯科医院の隣に出土橋を冠した商店があったが、既に今はない。周りを見る限りだが、出土橋を名乗るものは石碑の他は電柱の支線にのみ残り、もはや巷間に上らない地名となった。
では、なぜ出土橋というものを今回取り上げたのか。簡単ではあるが、最後にこのことにふれておこう。私は現在、池上電気鉄道の歴史を調べているところであるが、そもそも池上電気鉄道は「大森駅~池上」間の交通機関として誕生し、それは馬車輸送の置き換えを狙ったものだった。しかし、このルートは本線であったにもかかわらず、免許取消しの憂き目に遭い、鉄道としては未成のままとなった。だが、池上電鉄成功事例の一つであるバス事業では、大森駅~池上ルートを実現し、これはドル箱路線となった。現在でも大森駅~池上駅のルートは、大田区役所が大田区中央二丁目から蒲田駅東口に移転して以降、減少傾向にあるものの、まだまだ輸送需要は多い。このドル箱路線であった頃の昭和初期のバス停は、
- 大森駅前(当時は東口側の京浜電気鉄道大森駅横から発車していた)
- 八景坂下(京浜線ガードをくぐった先)
- 根岸
- 六人衆墓地前(これより先は現在の旧池上通りを進む)
- 春日神社前
- 出土橋
- 子母沢(バス車庫の最寄り)
- 市野倉
- 八幡神社前
- 堤方
- 浄国橋
- 山下橋
- 本門寺前
- 池上駅前
であり、出土橋という興味深い名前を確認したかったというわけである。といったところで、今回はここまで。
新井宿は区役所が(バブルの尻拭いであると非難された)蒲田に移転する迄は行政センターであり、それが理由で中央と言う町名が付けられたのだと思いますが、役所の利用者にとっては蒲田の方がずっと便利であることは否めません。大森の地名は京急大森町が元祖だと思いますが、東海道線の大森駅が此の街道沿いに設けられ、明治大正の名士が山王に居を定めた関係で東海道線の列車迄京浜線の電車の開通後の大正11年の時刻表によるとこの駅に停車していたことがその重要性を示しています。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2012/07/03 19:49
コメントありがとうございます。
中央という町名は、戦後に東京都中央区が誕生した後、様々なところで中央という名称が採用されています。数多くあるうちのその一つが大田区にあるわけですが、仰せの通り区役所があったという理由で、でしょう(無理矢理系なら区の中央にあるという言い分か)。このような交通不便な場所に区役所がある(あった)のは、町村合併時あるいは区合併時にどこに区役所を設置するのかと旧自治体間でもめた結果、利便性などを無視して中庸をとって真ん中あたりに設置したからとみます。旧大田区役所は、大森区時代に旧大森町役場(現 大森警察署の場所にあった)が区役所ではあまりに場所が偏りすぎという批判を受け、あの場所に用地を確保したものの、戦時中に移転はかなわず、戦後になって大田区成立後にあの場所に移転しました。
これは目黒町と碑衾町が合併した際の目黒区役所(当初は目黒町役場が区役所とされたが、今の中央町に移転。その後、中目黒のビル買収で中央町に区役所はなく、大田区と同じようなパターン)などでも同様です。
と、出土橋から話題が逸れまくったのでこの辺で。
投稿情報: XWIN II | 2012/07/04 07:39
古の東海道というのはそういう意味なのですね。
長いあいだの疑問がとけました。
投稿情報: Yama | 2012/07/07 22:11