おおよそ2か月ほど前に「1915年(大正4年)当時の洗足田園都市エリア開発前夜」という記事で、1万分の1地形図に田園都市株式会社が洗足住宅地として分譲したエリアを示したが、今回はその姉妹編という位置づけである。
上図がその際、作成したものだが、ご覧のとおり買収エリアにはまったく住宅地が存在しない。上物(家屋などの建築物)があると土地代金のほか、取り壊し費用や移転費用など余計な金員を支出しなければならないので、洗足エリアをはじめ、大岡山エリアや多摩川台(田園調布)エリアも上物のない用地を買収地として選定した(もちろん例外あり)。
これがいわゆる逓信省地図(一部)で主に郵便配達のために作成され、今日の市町村毎の地図と同じく地方自治体毎に作られており(すべて作られていたわけではなく、必要性が低いところ=かなりの田舎のものは作られていない村もあった)、地番が漏らさずふられている。上図は東京府荏原郡平塚村(のちの平塚町→東京市荏原区→東京都品川区の一部)のもので、ピンク色を付けたところが洗足田園都市エリアとなる。確認できるように、地番単位で買収されていることがわかるだろう。
といったところで時間がなくなったため、今回はここまで。
XWIN II 様
逓信省地図と分譲地との対比でようやく小山7丁目と田園都市との関係がかなりハッキリしました。有り難う御座います。登記のことは詳しく知りませんが、以前の日本では住居表示番地イコール登記番号(LOT NO.)だと解釈しますので、買収も番地単位となったのでしょう。
投稿情報: 右木造院電車両マニア | 2012/05/04 22:55
Wikipedia 洗足田園都市のページに外部リンクとして掲載させて頂きました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%97%E8%B6%B3%E7%94%B0%E5%9C%92%E9%83%BD%E5%B8%82#.E5.A4.96.E9.83.A8.E3.83.AA.E3.83.B3.E3.82.AF
ありがとうございました。
投稿情報: 弁天池 | 2012/05/28 15:21