桜の季節なので、桜新町(東京都世田谷区)を簡単にとり上げてみたい。まずは、昭和初期の地形図より。
この地図は昭和7年(1932年)、東京市域拡張時に作成された新旧町名・区域比較を目的として作成されたため、赤い文字と境界線で昭和7年10月からの町名や境界が描かれている。しかし、地図表記上は概ね昭和2~3年頃のものとなっている。では、ゼンリンの電子地図で現在のこのあたりを見てみよう。
大きい地図・ルート検索 ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )
国道246号線(ここでは玉川通り)が街の中央やや北側を貫いてしまい、分断された感が強い。また、住居表示上もこの分断された北側だけが桜新町(一丁目)を名乗るものの、大半を占める南側は深沢(八丁目)なのである。
そして、思うこととしては洗足や田園調布と同じく、ここ桜新町(新町住宅地)もまた町村境に位置している。東京府荏原郡駒沢町の南西に位置し、もと玉川村の大字下野毛の一部が境界変更の結果、駒沢町に含まれたところや大字界も北側に見える。要は、辺境といえるようなところが分譲地として開発されたのである。
といったところで、今回は簡単にここまで。
世田谷区は大東京に編入の前に決まっていなかった所が多かったと見えて、千歳村は直前の地図では未決定となっています。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2012/04/12 11:17