今回は一方的に疑問のみ呈して話題を終える。と先に宣言だけしておいて──
橋梁名「駒場架道橋」、位置「渋谷起点0K183M」からわかるように、この架道橋は渋谷にある。ではどこか、というと東急東横線が国道246号線(玉川通り、青山通り)を跨ぐところ。道路に架かる鉄道架道橋である。
こちらには「設計 日本国有鉄道東京工事局」とあるように、JR山手線が国道246号線(玉川通り、青山通り)を跨ぐ架道橋である。
同じ名前は付いているが、それぞれ別の架道橋である。場所をゼンリンの電子地図で示すと以下のとおり。
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ご覧のとおり、というかわかりにくいが幅広い国道246号線を跨ぐ架道橋が「駒場架道橋」なのだが、ここで疑問となるのが、なぜここに「駒場」を冠する架道橋として命名されたのかということである。
ちなみに渋谷駅からJR山手線を原宿駅方向に進むと、宮益架道橋、中渋谷架道橋、上渋谷架道橋、宇田川架道橋と続くので、大字名や小字名が架道橋に採用されていることがわかる。では、なぜここが「駒場」でなければならないのか。
先ほどの銘板に見えたように、現JRの「駒場架道橋」は着手 昭和37年1月6日、竣功 昭和39年9月10日ということは、戦後にできた比較的新しい架道橋だとわかる。これは当時の知る方には自明だが、東京オリンピックに合わせた道路整備の一環で、この部分が新たにできた道路であり、これを跨ぐように架道橋を建設したためである。当時の航空写真を見よう。
まさに工事まっただ中の昭和38年(1963年)。首都高速道路の橋桁が施工中で、高速道路はもちろん、その下の道路も未完成である。東急東横線渋谷駅もこの工事のために、かなり駅の位置を南寄りに移動させていることもわかるが、ここでの注目は「駒場架道橋」である。ご覧のように「駒場架道橋」も建設工事中であり、東京オリンピック開幕のちょうど1か月前に竣功したとなるわけだ。
そうなると、この時期になぜこの架道橋に「駒場」と名付けたのか? このあたりで駒場といえば、1km以上北西方向にある目黒区駒場くらいしかないが、だとしたらなぜわざわざこの場所にそのような名前を付けたのか? 疑問を発したまま、今回はここまで。
2013年8月18日追記
駒場の由来については先日、古地図を眺めていたところ、この付近を通る古道である「駒場道」に由来しているのではないかと気付いた。とりあえずの備忘録。
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