我が国の電気事業は明治以降に始まり、大正期には多くの企業が林立、淘汰の時代に入る。そして、戦時体制の中、電力国有化(あるいはそれに準ずる)移行が進み、戦後は9社体制として現在に至っている。今回は「荏原郡勢」という東京府荏原郡役所が大正8年(1919年)に発行した資料から、荏原郡(概ね現在の東京都品川区、目黒区、大田区、世田谷区に相当)に電気供給を行っていた(許可されていた)事業者を確認する。
と、いきなりの表だが、今では小規模のものを除けば東京電力一社のみだが、90年程前は東京市(15区)を含め、
- 東京市
- 東京電燈株式会社
- 玉川電気鉄道株式会社
- 京浜電気鉄道株式会社
- 京王電気軌道株式会社
- 鬼怒川水力電気株式会社
- 桂川電力株式会社
- 富士瓦斯紡績株式会社
と8者体制であった。東京市は一部例外はあるが、原則、市隣接区域を担っており、荏原郡への主力は東京電燈株式会社と鬼怒川水力電気株式会社で、電燈事業と電力事業は分離されていた。このほか、鉄道会社も3社確認できるが、これは電気鉄道と名乗るように電気で鉄道を走らせるため、そもそも電気を自社で賄っていたが、これを電灯普及策に活用すべく鉄道営業区域に限って(これも例外あり)特別に電燈事業を許可していたからである。逆にここには載っていないが、鬼怒川水力電気株式会社は鉄道会社(現在の小田急)を設立・運営するなど、電気供給事業者と鉄道は密接な関係を持っていた。
で、表をご覧いただければわかるように、最近、当blog記事の電線関連の話題で登場した桂川電力株式会社も大正7年(1918年)当時は健在であることがわかる。しかし、約4年後に東京電燈株式会社に合併されてしまうのだった。
そんなこんなで、今回はここまで。
電力事業が民営であったことは知っていましたが、こんなに多数あったとは知りませんでした。今日では位相を調整して並列運転することができるようになり、地域間に互いに電力を融通できる様になったので、ニューヨークのような大停電は起こらなくなったことは大きな進歩と言わざるを得ません。半導体制御の進歩で何でもできるようになり私のような古い人間にとってはまさに隔世の感があります。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2012/03/18 18:39
次々と、興味深い話題をありがとうございます。
本当に勉強になります。頭が下がります。
桂川電力株式会社という会社があったことすら知りませんでした。
現在の電力会社というのは、メガどころじゃない、でっかい企業になったんですね。
これは、いろいろな経緯があったんでしょうねぇ。今は独占企業ですもんね。
それが、今日の原子力発電を育て、開発し、そして、今のありさまになっているんですね。
投稿情報: りっこ | 2012/03/19 07:33