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2011/06/11

コメント

 学校裏と沢田は、現在の平和島と環七の位置から考えて今ひとつ位置関係のイメージが湧きませんが、インターアーバンと言うよりは専用軌道を走る路面電車的な感覚で一人でも客を取りこぼさないように停車場を多く設置したのかもしれません。
 私が年少の頃赤と青の2位信号機であったことを思うと北馬場と南馬場のように目と鼻の先に停留場がある路線でしたので両方在ったのかも知れません。陸地測量部の地図でもあれば確かめられるかもしれません。
 平均速度の遅いSLに代わって高出力の院電の運転が開始されると大打撃を受けたのも当然でしょう。

学校裏追伸
陸地測量部東京近傍大森の1908年版が国会図書館にありますので一度閲覧してみます。

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