懐かしの写真をネタに、今回ももう一本。
場所は、ゼンリンの電子地図で示すとここになる。この写真に見える地下鉄入口は、現在の東京メトロ銀座駅のA2出入口にあたるところ、つまり我が国最大の繁華街と言うべき交差点(場所)である。写真の元ネタは、東京地下鉄道史(昭和9年発行)に掲載されているものなので、撮影時期は概ねそのあたり(銀座駅の開業は昭和9年3月3日。そして木が枯れていることからもそのあたりか)だと思われる。
銀座四丁目交差点と言えば、やはり服部時計店(現 銀座和光)の時計台がシンボルなのは今も変わらないが、昭和7年(1932年)完成の服部時計店が写真左側に見える(時計台はさらに上なので写真では見えない)。その向かいには銀座三越が、やはり当時から健在であることがわかるだろう。なお、地下鉄は開通したが、市民の交通の足は路面電車の東京市電がまだまだ主役で、この写真からもその様子が伺えよう。
興味深いのは、ちょっと見にくいが地下鉄の出入口に「通り抜け御自由」と書かれていることで、銀座四丁目交差点地下を通じて交差点四角に達することができるとウリにしていることだろうか。そんなことを考えつつ、今回はここまで。
当時の紳士が皆ソフト帽子をかぶっており当時の風俗が分かります。昭和20年1月にこの交差点に爆弾が落下するとは誰も予想しなかったでしょうね。おかげで渋谷から乗った地下鉄が新橋の幻の停車場で折り返したことを記憶しております。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2010/11/08 10:24
コメントありがとうございます。
東京銀座は、当時も現在も有数の繁華街かつ流行の先端とまでは言わないまでもファッショナブルな町でもあるので、このまちの写真というのはやはり興味深いものです。近日中には、もう少しだけ戦時色の入った写真と比較をしてみたいとも考えています。
投稿情報: XWIN II | 2010/11/16 08:21
戦時中のファッションは右を見ても左を見てもカーキー色の国民服で無味乾燥なものでした。ただ興味深いのは、同じカーキー色もゴビ砂漠の土気色から、欲が南方の石油やゴムに向かうにっつれて、ジャングル戦を意識してか
、誰も命令していないのに段々濃い緑色掛かったものに変化して行ったことです。独裁者ではなく空気が支配する社会もまた怖いと思いました。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2010/11/16 10:05
撮影当時とは少し、時期が違いますが、1960年の秋立ちぬ(映画)YOU TUBEでロケ地の現在を検索していたら、冒頭でこの付近が出ていたのですが、地下鉄の出入り口が消滅していました、どうして消滅したのか不思議でしたが、謎がとけました。ありがとうございました。想像ですが、管理上の問題か何かで、取り壊したのですかね?
投稿情報: タックン | 2024/09/10 11:24
枯れたBlogにコメントありがとうございます。あ、今年正月から記事を書いていないっ!
それはともかく、地下鉄の出入り口って結構移設が多い(ビルの建設や取り壊しなど)こと。銀座は確か記憶違いでなければ、最近移設されたばかりではないかと。
投稿情報: XWIN II | 2024/09/11 18:13