体育の日が10月10日固定化から外されて久しいが、体育の日になると何かとマスコミがくだらない話を繰り広げるのはいつものとおりである。今回のくだらない話は、体育の日に因んで体力比べの話。論調はいつもと同じで、
子供達の体力は○○年前に比べて減少
というノリである。また、今回はこれに加えて、
シニアは体力増加傾向
だというのが加わっている。何で、過去との比較を年齢階層で比べるの? というのがいつも私が思うことだ。理由は簡単である。私が思うに、人は若い頃体験したものを死ぬまで続けるという性質があり、若い頃、体を否応なく鍛え上げられた世代は、齢を重ねてもそれを続けなければならないと(自身が思うかどうか別にして)いうことで、それを当たり前に具現化している傾向が高いと見る。つまり、世代によって体力だけでなくありとあらゆるものが、年齢層によって区別されるのでなく、世代層によって区別されるからである。
もちろん、どの世代でも若い頃の方が体力も持久力もあるのは生物として当たり前だが、必ずしも世代間比較では同程度だという方がおかしい。例えば、戦時中に勉強よりも軍事教練をたたき込まれた世代は、相対的に他世代よりも運動をやらされていたはずなので、学習漬けの世代と比較すれば運動量は圧倒的に高いだろう。もちろん、個人差があり、その時々の栄養状態もあるので単純比較はできないが、それでも世代総体としての底上げには直結するはずで、この世代と現在の世代での同年齢層比較をすれば、運動能力に差が表れて当然である。というのも、低年齢ほどやっているかやっていないかだけでの「差」が大きいからでもある。
学業あるいは仕事・研究などで統計に携わっている方であれば、この手の統計(及びそこから導出される結論)はいくらでも何とでも作り出すことが可能であることは百も承知であるだろう。統計とは単独で存在するものではなく、必ずそこには目的がある。そもそも統計の目的は何なのか、これを知らずして数字とグラフと結論だけを見て判断するのは、自分勝手に催眠術中に陥ることと変わらない。今回、この統計は何のために採られ、そしてその結論は何の目的を導出するためのものなのか。
単に記者が、自分とは違う世代に対して、違和感を抱いているということもあるかもしれないなと考えつつ、晴れ晴れとした体育の日をどう過ごすかも考えながら、今回はここまで。
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