ここは、東京都品川区中延五丁目11番16号。かつての平間道と中延中通りの分岐点に位置する場所で、天明三年(1783年。浅間山大噴火があった年でもある)に建てられたであろう石造道標が残されている場所である。
ここは品川区指定史跡にも指定されているので、きちんとした説明板がある。これを見ると、
説明文は以下のとおり。
品川区指定史跡
天明三年銘 石造道標
所在 品川区中延五丁目十一番十六号
指定 昭和六十一年三月十四日(第二十二号)
この道標は、旧中延村を横断する中通り(中原街道と池上道を結ぶ)と、平間道(上池上・久ヶ原を経て下丸子で池上道と合流し、平間に至る)との分岐点にある。高さが一・一五メートルで、右うの木(鵜ノ木)光明寺道、左池かみ道(池上道)と刻まれている。造立者は不明である。
鵜ノ木光明寺は浄土宗の古刹で、江戸からの日帰り行程の大寺として、近世には多くの参詣客が来寺した。
昭和六十二年三月三十一日建設
品川区教育委員会
ということで、肝心の道標だが、
こんな感じで、説明板にあるように「右うの木光明寺道」「左池かみ道」とある。場所をゼンリンの電子地図で示すとここになるが、現在も分岐点となっていることが確認できる。では、近代的測量がされた明治14年(1881年)頃に作図された2万分の1地形図もあわせて見てみよう。
分岐点部分は、やや薄めの灰色の○で囲った。北に八幡社や法蓮寺があり、南には東西を通る道路もあるので、現在との対比がしやすい場所でもある。こういう何気ないものが、地域の歴史を語るものなのだな、と認識しつつ、今回はここまで。
大井街道との分岐点から少し下ったところに小さな屋台のような飲み屋があり、泡盛の提灯がぶら下がっていたのを覚えています。大井街道のこの付近の幅が中途半端に拡張されているのが特徴的です。戦争で中断されたままになったのでしょう。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2010/10/02 10:38