« 「図説 鉄道パノラマ地図」(ふくろうの本)に見る誤り─池上電気鉄道編─ | メイン | 高架化運転直前の京急蒲田駅、ものすごい圧迫感… »

2010/05/10

コメント

調布大塚駅
東急ローリングストックに掲載されていたと思いますが石川台駅直前の以前の東横線の100型と元池上電鉄の120
型の電車がすれ違っている写真の行き先板に五反田/雪谷となっており日付けが昭和16年8月となっていますので少なくとも調布大塚はその時迄存在していた証拠です。この写真は以前にブログで掲載されたことがありますがあらためてこの写真を見ると雪谷蒲田間でも単車運転されています。昭和16年といえば既に軍需景気でかなり乗客も増えていたはずですが、単車運転されていたことは驚きです。この写真の撮影年度を検証する方法はありませんが、高圧線の鉄塔が何時建てられたかで検証可能でしょう。

すみません。ここを掲示板がわりに使ってしまってまことに申しわけないのですが、洗足教会の友人から、洗足教会五十年史、六十年史、七十年史が、本日到着しました。

これから、いろいろ読んで、写真等挙げられるものは、スキャンも試みたりしたいと思いますが(でも息子がいないとできないので、週末になるかもしれません)

それ以外、緊急にお知らせしたいことがありますので、書かせていただきます。
m(_ _)m

「還暦記念 洗足幼稚園」は、棟居(むねすえ)喜九馬氏著ですが、多分この棟居氏のご子孫であろう、棟居勇氏がおられます。この方、牧師さんでして、6月から、第1日曜日に、洗足教会で説教されることになったとのことです。


私は昔、ここの日曜学校の生徒でもありましたし、結婚してから、訪れたこともあります。それで、何とか機会をつくり、この第1日曜日の礼拝に出られるものなら出たいなと思い出しました。なかなか難しいかもしれませんが、そのうち機会を見て、この牧師さんとお話できる機会があれば、大変喜ばしいことですよね。

補足です。

棟居勇牧師は、洗足幼稚園園長、棟居喜久馬氏(「久」です。上記文字間違えました。すみません)のお孫さんです。
洗足教会五十年史から、洗足幼稚園の記述を掲載させていただきます。この文章は、棟居喜久馬氏の娘さんの「洗足教会初期の頃の思い出」という文章からの抜粋です。
「大正十五年の頃、父棟居喜久馬は、友人の伊藤幸次郎氏所有の2万坪の土地の一角を分けて頂き、幼稚園と私共若夫婦の住居を建ててくれました。それを洗足幼稚園と名づけ、私共に管理をまかせました。伊藤氏は、幼稚園の向かい側にもう一つの草ぶき屋根の家を建てられ、管理人として老夫婦を住まわせました。伊藤氏は土地、建物を財団法人になさり、戦前に香蘭女学校にも広く土地をお譲りになり、それが私共の土地の隣りに建つことになりました。伊藤御夫妻は篤信のお方で、広大な庭の南隅に祈りの家を建てられ、別室の集会のための祈りをそこでなさっておられました。(後略)」

※この、管理人御夫妻のお部屋を拝借して、やがて礼拝、祈祷会が始まり、これが洗足教会のもととなったとのことです。昭和7年に、今の位置に教会が建ちました。教会は空襲時、焼けませんでした。

「戦争中、伊藤邸の土地の一部には軍隊が駐屯し、又学校工場として香蘭があり、私共の幼稚園や私共の家も空襲には一なめにあってしまいました。(後略)」

※なお、当時の四百百荘の、「瀟洒な建物」の写真もありました!
アップできればと思います。少々お待ちくださいませ。(すぐにはちょっと無理かもしれませんが、必ずアップしますね)

コメントありがとうございます。

>昭和16年といえば既に軍需景気でかなり乗客も増えていたはずですが、単車運転されていたことは驚きです。

戦時中は、様々な理由によって(統制関係が主かと思いますが)それ以前よりも正確な情報が残っていないため、辛うじて写真などの直接的な成果物だけが頼りとなります。仰せのように、時期的に単車運転では成立しがたいとは思いますが、目黒蒲田電鉄から東京横浜電鉄、東京急行電鉄時代に入る頃までには池上線がどうなっていたのか。鉄道ファン向けの写真資料を再検証する必要がありますね。

>アップできればと思います。少々お待ちくださいませ。(すぐにはちょっと無理かもしれませんが、必ずアップしますね)

洗足幼稚園(教会)や四百百荘のお話しも含め、貴重な情報をありがとうございます。写真のアップも楽しみですが、何より棟居喜久馬氏のご子息のことも楽しみです。私は縁がないので無理ですが、りっこ様とのお話しを楽しみに待たせていただきます。焦らず気長にのんびりで構いませんので、よろしくお願いいたします。

りっこ様
XWIN II様
洗足幼稚園
むねすえ様の名前をしばしば耳にしたのでかすかに覚えておりますが漢字の標記は知りませんでした。近く第二延山小学校の同窓会がありますので村上君のこととともに幼稚園の卒業生から聞いてみます。
調布大塚駅
御嶽山駅のホームの短さから推測して単車運転の期間が長かったのだと思います。
国立公文書館
本日は暑からず寒からず北の丸を散策するのに絶好の日だと思って足を運んでみました。見出しがあってもペイジ数が無く閲覧するのに思いのほか時間を要しました。昔の日本語には戦前派の私でも意外にも手こずりました。高柳淳之介氏直筆の願書は特に難読でした。薄葉紙に両面カーボンを挟んで骨筆で書かれた文書にはノスタルジーを感じます。荘重な雰囲気を醸す稟議書を見た時に、若い時分に担当者が起案してくれるかどうか固唾をのんで見守っていた役所通いを思い出しました。
アーカイブスの中で興味のあるものの複写を依頼しました。
信号システム
単線の時は通票券を採用したようですが、複線化の後でも腕木式信号機(場内)を主要駅に設け、閉塞方式は双信方式を使用しています。信号機とこの閉塞方式の図面の複写を依頼しました。野原の中に立つ腕木式信号機はさぞかしローカル鉄道の雰囲気を漂わしていたのでしょう。図面添付と書いてあっても図面が殆ど無い中で偶然にもこの図が残っていたので感激しました。双信方式は日本人が発明した純粋の国産でした。当時は輸入品であった信号機は高価であったので先行投資を嫌がる高柳氏は安い方を選んだのでしょう。目黒蒲田電鉄でも赤青の2色でしたが自動信号を採用していました。その後規則がやかましくなり橙色を加えた3色式が義務付けられましたので大井町線は始めからこの方式でした。
雪谷から沼部までの路線の申請。
既に新奥沢迄開通しているのに雪谷から沼部までの新線を申請しています。勾配の表も添付されていましたが桜坂の所はかなり急勾配です。

アップできました!!!

ごらんくださいまし。
http://firestorage.jp/download/883e6099646d2624745ee2ad94f435d27318380e

1枚目が、現在の洗足教会と、1932年竣工時のもの。背後に見えるのが、多分清水山なんじゃないかと思います。教会の隣りは、広い野原だった、という文章もありました。

2枚目が四百百荘 上の写真が、耕読寮です。ここは、「キリスト者学生に学資を給与または貸与することを主な目的とする法人であった。」とのことです。
そして、下の写真が、伊藤邸!

香蘭が、校舎として使おうとしていた建物ですね。残念ながら、軍部に使われてしまい、それがために、アメリカ軍の標的とされ、空襲で全焼してしまったのは、非常に残念です。

木造院電車両マニア様

国立公文書館へお出かけになられたのですね!
お疲れさまでございます。そして、いろいろなこと、調べられてこられたということで、心底感服いたしました。というのも、木造院様と父とはわずか1歳しか違わないのに、どうしてこんなに違うのだろうと……きょうも、実家へ「父のお守り」にまいります。あれだけ頭のいい人だったのにと思うと、まさに人間というのは、その人生をいかに全うするか、というのも、大命題だなと、これは私の行く道でもあると思っています。木造院様のような、年輪の重ね方を、私もぜひ望みたい。木造院様は、高齢者の理想像ですし、期待の星だと心から思っています。

さて村上牧師さんですが、簡単に記させていただきますと、洗足教会には創立者の方がおられ、村上牧師さんは、「初代牧師」であられ、在任期間は1928年~1938年です。

「1928年・この年の1月から、村上牧師は川崎補助教師に代って洗足伝導所主任者となり、1月22日その就職式が行われた。村上牧師は2月末、洗足へ居を移した。その後も数ヶ月は三好牧師が毎月1回出張して礼拝説教を担当したが、やがてすべての集会を村上牧師が担当するようになった。日曜礼拝は伊藤邸で開かれていたが、毎水曜日の家庭会(聖書研究と祈祷会)および毎月1回第1金曜の婦人会例会は村上牧師宅で開かれるようになった。」
(注)そのころ中原街道は荷車が行き交う程度の狭い道で、現在の洗足教会の前は急な坂道となっており「さいかち坂」と呼ばれていた。その両側には竹やぶや畑が多かった。1923年9月1日の関東大震災以後、中延地区に同潤会住宅が建てられたのをはじめ、このあたり一帯は急速に住宅地に変えられて行った。電車も大正の終わりから昭和の初めにかけて目蒲線、池上線、大井町線が開通するようになり、その便利さとともに人口が著しく増加するに至った。

【このコメントは、私XWIN IIが一部手を加えています。→FAX番号を*でつぶしています。】

りっこ様
村上牧師の情報ありがとう御座います。
棟居様のことを妹に聞きましたら幼稚園の隣に住んでおられ昭和4年生まれの私の弟と友達だったそうですので牧師の方は園長先生のお孫さんでしょう。私自身は特に健康に留意してた訳ではなくただ漫然と生き延びていただけで決して模範となるような人生を送って来た訳ではありません。私の同年生の村上君は健康を害されたとき来ましたのでご無事を祈るだけです。ネットを利用して誠に厚かましいお願いですが、白黒でA4に一枚にまとめて教会の写真を**-****-****にファックスして頂けないでしょうか。未熟のためにダウンロードできませんでしたのでこの様なご迷惑なお願いを致す次第です。ご負担を掛けて申し訳ありません。

【ここから以下はXWIN IIが追記。以上のお申し出については、私が云々するわけにもいかないので、取り急ぎFAX番号を*でつぶしていないものをりっこ様がコメント投稿時に記載いただいているメールアドレス(外部からは見えません)に勝手ながら送信いたします。コメント欄をお使いいただくのは構わないのですが、さすがにバレバレの個人情報を載せるわけにはいかないので、このような対応とさせていただくことをご容赦願います。】

たまたま祖父棟居喜九馬、洗足幼稚園、洗足教会に関わる記事を拝見しました。私が喜九馬の孫、棟居勇です。洗足幼稚園の話や四皕荘のことを書いているのは、喜九馬の娘でなく、養子信夫の妻、つまり私の母だと思います。
何かさらにお知りになりたいご希望があれば、私のメールにでもご連絡ください。

イサムさま、コメントありがとうございます。

──で、メールアドレスにつきましては当blogシステムのコメント欄仕様から、扱いについては非公開となってしまうので、イサム様にメール連絡をご希望の方は、この記事のコメントにコメントの公開・非公開を含めお知らせいただければ、私の方からイサム様のメールアドレスをご案内差し上げます。

おはようございます。そしてありがとうございます!!!

もしよろしかったら、私のアドレスをご先方様まで、ご案内していただけるとありがたいです。
どうぞよろしくお願い申し上げます m(_ _)m

きょうはこれから、東京都市大学に行くことにいたしました。
東急の企画展が、どんなふうだか、じっくり見てまいります。

それでは、重ねてよろしくお願いいたします。 
とても、嬉しいです。

りっこ様、コメントありがとうございます。

>もしよろしかったら、私のアドレスをご先方様まで、ご案内していただけるとありがたいです。

イサム様のコメントにありますように、イサム様へ連絡が取れるメールアドレスを先ほどりっこ様宛のメールにてご案内させていただきました。お手数ですが、りっこ様よりイサム様にご連絡方、よろしくお願い致します。

>東急の企画展が、どんなふうだか、じっくり見てまいります。

むむむ、どんな展示なのか興味はあるものの、じっくり見てきていただけるというお言葉に甘え、ご報告、首を麒麟のようにしてお待ち申し上げます。

いろいろご配慮、本当にありがとうございます。 m(_ _)m
おかげさまをもちまして、輪がどんどん広がりまして、感謝感激です。
このブログあってこそなので、改めて御礼申し上げます。

さて、東京都市大学の催しなのですが。

はっきり申し上げまして、「初心者向き」でした。もし、XWIN II様のこのブログを全く知らず、鉄道の初心者として出かけていったら、なかなかに興味深かったと思うのですが、残念ながら、既知のことが多く。

【Nゲージブース】
おじさま方が、興味を持って、電車を動かしておられました。

【昔の電車路線】
当ブログで紹介していただいた、昔の路線図(カラー版)の大きな図面が何枚か掲示されておりました。

【手すりのよしあしアンケート】
実際のつりかわや手すりが展示されており、どの手すりが一番握りやすいかアンケートをとるようなところがありました。

【車両模型や写真】
東急の昔からの電車の写真・模型・絵が展示されていました。

【まちを展く-写真展示】
大井町や大森、蒲田、池上、石川台、戸越銀座の、昭和初期の駅の写真パネルが展示されておりました。残念ながら旗の台周辺はありませんでした。また、私にとっては全部既知の写真でありまして、目新しい写真はありませんでした。

【東急関連の書籍類】
今まで出版された東急関連の書籍が、展示されておりました。これは手にとって読むことが可能です。

ぐるっと回って、20分あればOKかな?みたいな感じでした。
歴史的には、東工大百年記念館の展示物の方が見ごたえがありました。特に東工大の記念誌(30年記念とか40記念刊行本)は、手にとることができ、じっくり読めば、なかなか内容豊富な読み物だなと。残念ながら時間が余りありませんでしたが。

すみません。大森はなかったですね。東急の駅ですもんね。

もう一つ、追記させてくださいませ。
東京都市大学は尾山台ですから、もちろん尾山台の写真もありました。
それから、時間的余裕がなくて入れなかったのですが、東京都市大には、「五島記念館」があります。立派な建物です。こちらも、のぞいてみたかったなと。1日で2大学めぐりをしたもので、ちょっと駆け足でした。

今回の一番の収穫は、東工大百年記念館の案内冊子です。
百年記念館、来年が130周年記念ですから、百年記念館も新しそうに見えて、実は30年前の建築物ですね。で、この冊子の表紙ですが、地下化される前の大岡山のプラットホームを前面に、後面に百年記念が写り込むようなアングルになっています。
こういう角度から、昔の大岡山駅の写真を見たのは初めてで、とても懐かしい感じがいたしました。

りっこ様、コメント&情報をありがとうございます。

「東京都市大学の催し」については「なるほど!」と感じた次第です。確かにいきなりハイエンドな話題ではみんな思いっきり引いてしまうだろうし、多くのお客様を期待するのであれば、そういう形になるのは当然かな、と。

>今回の一番の収穫は、東工大百年記念館の案内冊子です。

なるほど。
自宅から東工大は遠くはないので、行こう!という気持ちがあればいつでも行けるという安心感からか、なかなか行こうと思うまでが…(苦笑)。

コメントの確認

コメントのプレビュー

プレビュー中です。コメントはまだ投稿されていません。

処理中...
コメントを投稿できませんでした。エラー:
コメントを投稿しました。コメントは記事の投稿者が承認してから表示されます。 さらにコメントを投稿する

入力された文字と数字は画像と一致していません。再度入力してください。

最後に、下の画像の中に見える文字と数字を入力してください。これはプログラムを使ってコメントを自動的に投稿するのを防ぐために行われています。

画像を読み取れない場合は 別の画像を表示してください。

処理中...

コメントを投稿

コメントは記事の投稿者が承認してから表示されます。

アカウント情報

(名前とメールアドレスは必須です。メールアドレスは公開されません。)

2024年1 月

  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31