新VAIO Z関連の話題を多数取り上げていたため、地域歴史研究の話題が希薄になりつつあるが、ここで一本記事を入れてみることにする。話題は、またも東急池上線。当線の駅名の由来を語るのではなく、駅開設時からの行政地名(住所)を歴史順に示すことで、どういうルールに従って駅名が採用されたのかの一助になればと思う。では、五反田駅から順に示していこう。
五反田駅(昭和3年(1928年)6月17日)
東京府荏原郡大崎町大字下大崎字五反田
東京府東京市品川区五反田一丁目
東京都品川区五反田一丁目
東京都品川区東五反田二丁目
大崎広小路駅(昭和2年(1927年)10月9日)
東京府荏原郡大崎町大字谷山字峯下
東京府東京市品川区東大崎四丁目
東京都品川区東大崎四丁目
東京都品川区大崎四丁目
桐ヶ谷駅(昭和2年(1927年)8月28日)
東京府荏原郡大崎町大字桐ヶ谷字向原
東京府東京市品川区西大崎一丁目
東京都品川区西大崎一丁目
(昭和28年(1953年)8月11日 廃止)
戸越銀座駅(昭和2年(1927年)8月28日)
東京府荏原郡荏原町大字戸越字一本杉
東京府東京市荏原区戸越町
東京府東京市荏原区西戸越一丁目
東京都荏原区西戸越一丁目
東京都品川区西戸越一丁目
東京都品川区平塚二丁目
荏原中延駅(昭和2年(1927年)8月28日)
東京府荏原郡荏原町大字中延字谷向
東京府東京市荏原区中延町
東京府東京市荏原区東中延一丁目
東京都荏原区東中延一丁目
東京都品川区東中延一丁目
東京都品川区中延二丁目
旗ヶ岡駅(昭和2年(1927年)8月28日)
東京府荏原郡荏原町大字中延字四段田
東京府東京市荏原区中延町
東京府東京市荏原区西中延三丁目
東京都荏原区西中延三丁目
東京都品川区西中延三丁目
(昭和26年(1951年)5月1日 旗の台駅に統合)
旗の台駅(昭和26年(1951年)5月1日 池上線の駅として)
東京都品川区平塚六丁目
東京都品川区旗の台二丁目
長原駅(昭和2年(1927年)8月28日)
東京府荏原郡馬込村字長原
東京府荏原郡馬込町字長原
東京府荏原郡馬込町大字南千束
東京府東京市大森区南千束町
東京都大森区南千束町
東京都大田区南千束町
東京都大田区上池台一丁目
洗足池駅(昭和2年(1927年)8月28日)
東京府荏原郡池上町大字池上字千束
東京府東京市大森区上池上町
東京都大森区上池上町
東京都大田区上池上町
東京都大田区東雪谷一丁目
石川駅(昭和2年(1927年)8月28日)
東京府荏原郡池上町大字雪ヶ谷字石川
石川台駅(昭和3年(1928年)4月13日 改称)
東京府荏原郡池上町大字雪ヶ谷字石川
東京府東京市大森区雪ヶ谷町
東京都大森区雪ヶ谷町
東京都大田区雪ヶ谷町
東京都大田区東雪谷二丁目
[二代]雪ヶ谷駅(昭和2年(1927年)8月28日)
東京府荏原郡池上町大字雪ヶ谷字長谷(長家)
東京府東京市大森区雪ヶ谷町
(昭和13年(1938年)頃、曲線変更に伴い移設)
[初代]雪ヶ谷駅(大正12年(1923年)5月4日)
東京府荏原郡池上村大字雪ヶ谷字長谷(長家)
東京府荏原郡池上町大字雪ヶ谷字長谷(長家)
(昭和2年(1927年)8月28日 奥沢線開業に伴い移設)
[三代]雪ヶ谷駅(昭和13年(1938年)頃)
東京府東京市大森区雪ヶ谷町
東京都大森区雪ヶ谷町
雪ヶ谷大塚駅(昭和18年(1943年) 改称)
東京都大森区雪ヶ谷町
東京都大田区雪ヶ谷町
雪が谷大塚駅(昭和41年(1966年)1月20日 改称)
東京都大田区雪ヶ谷町
東京都大田区南雪谷二丁目
調布大塚駅(昭和2年(1927年)8月19日)
東京府荏原郡調布村大字鵜ノ木字大塚
東京府荏原郡東調布町大字鵜ノ木字大塚
東京府東京市大森区調布大塚町
(昭和8年(1933年)6月1日 雪ヶ谷駅と統合)
御嶽山前駅(大正12年(1923年)5月4日)
東京府荏原郡調布村大字嶺字入船
東京府荏原郡東調布町大字嶺字入船
東京府東京市大森区調布嶺町一丁目
御嶽山駅(昭和8年(1933年)6月1日 改称)
東京府東京市大森区調布嶺町一丁目
東京都大森区調布嶺町一丁目
東京都大田区調布嶺町一丁目
東京都大田区北嶺町
末広駅(大正12年(1923年)5月4日)
東京府荏原郡調布村大字嶺字末広
東京府荏原郡調布村大字鵜ノ木字上原
東京府荏原郡東調布町大字鵜ノ木字上原
東調布駅(昭和3年(1928年)4月13日 改称)
東京府荏原郡東調布町大字鵜ノ木字上原
東京府東京市大森区調布鵜ノ木町
久ヶ原駅(昭和11年(1936年)1月1日 改称)
東京府東京市大森区調布鵜ノ木町
東京都大森区調布鵜ノ木町
東京都大田区調布鵜ノ木町
久が原駅(昭和41年(1966年)1月20日 改称)
東京都大田区調布鵜ノ木町
東京都大田区南久が原二丁目
光明寺駅(大正12年(1923年)5月4日)
東京府荏原郡調布村大字嶺字横須賀
(昭和2年(1927年)6月 廃止)
千鳥町駅(昭和11年(1936年)1月1日)
東京府東京市大森区調布千鳥町
東京都大森区調布千鳥町
東京都大田区調布千鳥町
東京都大田区千鳥一丁目
[二代]慶大グラウンド前駅(昭和2年(1927年)6月 移設)
東京府荏原郡調布村大字嶺字横須賀
東京府荏原郡東調布町大字嶺字横須賀
東京府東京市大森区調布千鳥町
(昭和11年(1936年)1月1日 移設・改称)
[初代]慶大グラウンド前駅(大正15年(1926年)8月6日)
東京府荏原郡池上町大字徳持字池田
(昭和2年(1927年)6月 移設)
池上駅(大正11年(1922年)10月6日)
東京府荏原郡池上村大字徳持字沼方
東京府荏原郡池上町大字徳持字沼方
東京府東京市大森区池上徳持町
東京都大森区池上徳持町
東京都大田区池上徳持町
東京都大田区池上六丁目
蓮沼駅(大正11年(1922年)10月6日)
東京府荏原郡矢口村大字小林字宮田
東京府荏原郡矢口町大字小林字宮田
東京府東京市蒲田区小林町
東京都蒲田区小林町
東京都大田区小林町
東京都大田区西蒲田七丁目
蒲田駅(大正11年(1922年)10月6日)
東京府荏原郡蒲田村大字御園字前田
東京府荏原郡蒲田町大字御園字前田
東京府東京市蒲田区御園町
東京府東京市蒲田区御園二丁目
東京都蒲田区御園二丁目
東京都大田区御園二丁目
東京都大田区西蒲田七丁目
以上を確認する前提として、地方自治体の変遷の歴史も合わせておくと以下のとおり。
- 1932年(昭和7年)10月1日 東京府荏原郡などが東京市に合併。新たに20区が誕生。
- 1943年(昭和18年)7月1日 東京都制により、東京府と東京市は合併し、東京都となる。
- 1947年(昭和22年)3月15日 東京都35区から22区に再編成。
また、これら変遷の知見については、私の調査に基づくもので構成されているため、一般に公表されている書籍等との整合性がとられていないものもある(光明寺駅と慶大グラウンド前駅との併存など)。これらについては、おいおい当Blog記事内で明らかにしていくつもりであるが、現時点での見解に基づいてと言うことをお断りしておく。
といったところで、今回はここまで。
おはようございます。
池上線の話題は、やっぱり嬉しいですね。
ところで一つご質問させてくださいませ。
「東京都35区から22区に再編成」
今は23区ですよね?
ということは、どこか一つ、増えたんですか?
投稿情報: りっこ | 2010/03/23 09:56
りっこ様、コメントありがとうございます。
仰せの通り、地域歴史研究ネタで池上線ネタは久々のような気がします。同系のネタとしては近日中に、の予定ですが、「幻の?」光明寺駅を取り上げる予定でおります。
そして、ご質問の回答ですが、あれは22と23を書き間違えた…わけではもちろんなく、22区に再編成されたわずか半年足らずの1947年(昭和22年)8月1日に、板橋区から練馬区が分離して23区となったのです。板橋区はべらぼうに広かったんですね。
投稿情報: XWIN II | 2010/03/23 19:46
千鳥町駅
横須賀の地名は砂浜を示すそうですが、武蔵野台地の南端に沿って古東海道、通称平間街道が走っている所です。昔はこの辺迄海が迫っていたのでしょう。これはあくまでも私の想像です。
御嶽山駅
入舟と言う名前のお茶か海産物を売る店がジャスコの前にあったような気がしますが、確かではありません。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2010/03/24 09:53
はじめまして!
とても興味深く楽しませて頂いております。
旗ヶ岡駅が旗の台駅に統合した昭和26年5月時は両駅とも品川区平塚6丁目と思っておりました。
新たな発見です。
今後も素敵な情報を楽しみにしております。
ありがとうございました。
投稿情報: 旗ヶ岡っ子 | 2010/03/24 22:18
木造院電車両マニア様、コメントありがとうございます。
荏原郡調布村(東調布町)大字嶺の前身である嶺村は、「おそらく」御嶽神社をこの地に持ってきた時期と相前後して、村の小名(字)名を瑞祥名に変更しています。高砂、入舟、千鳥窪、末広などなど。なので、地形に由来した古来よりの地名ではない可能性を指摘できます。
投稿情報: XWIN II | 2010/03/25 18:50
旗ヶ岡っ子様、コメントありがとうございます。
えっと、まずは当記事中にお断りしておりますように「これら変遷の知見については、私の調査に基づくもので構成されて」います。なので、旗の台駅に関しても同じく、私の解釈に基づいています。
旗の台駅は、池上線と大井町線と二線の乗換駅ですが、まず第一に駅のどの部分が属していれば所在地になるのか、という問題があります。駅舎なのか、ホームなのか、線路なのか、あるいは駅員のいる事務所なのか…。
そして、もう一つは住居表示に基づく住所なのか、地番に基づく土地の場所を特定する表記法なのか、という問題。
コメント欄なので、やたら長くするのも憚られますが、駅の場所の定義一つとっても様々な解釈があります。そして、昭和26年時点においては、まだ住居表示制度はできていないので、場所を特定するには地番表記が一般的です。となると、土地そのものを表しますので、駅を特定する場所というものを定義せず、駅舎、ホーム等を駅に属すと解釈すれば、大井町線と池上線はそれぞれ駅は独立して存在するので、両線にまたがる部分に町境が走っていれば、属する町は複数になるというわけです。
今回は、駅舎・ホーム・出入口(改札)の場所を駅の位置として解釈していますので、当記事のような表記としたのです。
投稿情報: XWIN II | 2010/03/25 19:02
末広駅
名前の由来が分かりました。今も昔も縁起を担ぐのは変わりありませんね。鵜の木と言う地名は武蔵国分寺の瓦にも記載されている古い地名です。目蒲線沿線の地域から区別するために南久が原になったのでしょうか。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2010/03/29 23:59
木造院電車両マニア様、コメントありがとうございます。
この末広駅の変遷。最初の項目「東京府荏原郡調布村大字嶺字末広」は私の見解で、通説となったものではないとお断りしておきます(通説は最初から大字鵜ノ木)。
通説でないとした理由は、駅開設当初はこのあたりは耕地整理が行われておらず、耕地整理後の駅の位置は今の久が原駅北側踏切の道路の南側にありますが(現在も)、耕地整理前は道路の北側に駅があり、この道路が大字嶺と大字鵜ノ木の境界だったので、当初は大字嶺だったのではないかと推論したのです。
そして、久が原駅周辺の住所が「南久が原」(元 調布鵜ノ木町等)となり、鵜の木駅周辺の住所が「鵜の木」(元 調布嶺町二丁目等)とされたのは駅の位置に住所を合わせた結果でしょう。善し悪しは別にして。
投稿情報: XWIN II | 2010/03/30 07:37
XWIN II様
鵜の木町
コメント有り難う御座います。確かに新しい感覚としては久が原の方が高級住宅地のイメージが強いので調布町ではなく田園調布町とするのと同じでしょうか?
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2010/03/30 09:43
慶大グラウンド前
以前にこの件でブログで取り上げられましたが、あらためて時系列でみると私が昭和8年に第二延山小学校の1
年生として旗が岡から乗車して降りた駅は字横須賀ということになりますが、全く記憶にありません。地図を見ると武蔵新田の方が近いのに洗足からではなく旗が岡としたのは学校からの距離が近かったのかもしれません。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2010/03/30 09:56
慶大グラウンド前追加
当時の大勢の生徒と父兄をどのようにして運んだのか疑問がのこります。もし全校参加であれば父兄と合計して2千人ぐらいになりますので二両連結で運んだのではないかと思います。元々山手線で2両一組で運転されていたものですので2両連結も可能ですがホームの長さ等疑問がのこります。戦災等の関係で記録が残っておらず知る由もありませんが数少ない関係者に聞いてみることにしています、
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2010/03/31 08:47
木造院電車両マニア様、コメントありがとうございます。
仰せのように一般的には単行運転がいわれていますが、実際にはどうだったのかは何とも言えないところではあるでしょう(特に臨時運転関連)。昭和8年当時の航空写真からホームの長さが確認できれば、そのあたりの予想についての一定の解は示すことが可能となるかと。
投稿情報: XWIN II | 2010/04/01 07:05