それなりの時間をかけて、もともとプリインストールされている不要なアプリケーションソフトウェアを削除し、設定を見直し、そしてメインで使用するアプリケーションソフトウェアをインストールし、またまたアップデートを行い、ようやくデータを100GB単位でコピーを完了。こればかりにかかりっきりということではなかったが、もう午後10時前。ヤマト運輸さんに届けてもらって半日。ようやくPC環境の移行が完了した…と思われる(足りない部分があるかもしれないが、それはそのときに)。
で、この文章は新VAIO Z(VPCZ1)でキーボードを叩きつつ入力しているが、13.1インチFull HD(1920 x 1080)にも慣れてきてデスクトップの広さを体感しているところである。このサイズでFull HDだと文字等が小さすぎるのではと、DPIを125%から100%に変更した際に恐れていたが、やはり慣れ。今度は、前の1600 x 900の方が文字が大きすぎると感ずるようになってきた。大は小を兼ねるであり、解像度が高い方が応用が利く。もし、Full HDで文字が小さくなるのを恐れていたら、それはみすみす高品位文字を捨てることをも意味する。昔のWindowsと違ってDPIスケーリングも、多くの場合、問題を起こすような間抜けなアプリケーションソフトウェアも少なくなっているので、むしろきれいな文字で表示できるというメリットを享受すべきだろう。
言うまでもないが、テキストエディタで日本語入力環境をATOK 2010に変えてこの文章を入力しているくらいでは、新VAIO Z(VPCZ1)の真の力を確認することはできない。前に使っていたVAIO Zどころか、最も初代のVAIO Z(Pentium M搭載)でもそうそう変わるものではないはずだ。いや、入力環境を変えればDOS上でVZエディタやMIFESを使う方が快適かもしれない…と脱線しそうなので、元に戻すが、たったこれだけのことをしているだけでも新VAIO Z(VPCZ1)の慈雨力を常に感ずるものがある。それは、先にもふれたFull HDの解像度だ。
購入する前から予想はしていたが…というよりも、そもそもNehalemアーキテクチャのArrandaleは見送るつもりだったのを覆したのは、Full HDだからこそで、購入のきっかけといってもよい。高解像度のメリットは、1990年代からのPC高解像度体験で痛感(実感)しており、ノートPCにおいて1600 x 1200を2000年過ぎ頃に体験して、これは絶対に素晴らしいものだと確信に至った。だが、2kgを切るクラスでは長らく1280 x 800程度で横並び。初代VAIO Zも、1400 x 1050だった。VAIO type Zで1600 x 900まで来て、あと一歩なのだなぁ…とここから先も長かったが、ようやくのFull HD。待ちに待ったものである。
そして、Full HDの効果は、こうして入力しているときにも実感できる。小さい文字をたくさん表示するもよし、きれいな文字を普通のサイズで表示するもよし。これこそ求める環境だ、と。
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