「回想の東京急行Ⅱ」(大正出版。著者:荻原二郎・宮田道一・関田克孝)は前のⅠと共に、東急電鉄公式資料に次ぐ素晴らしい資料本である。様々な東急電鉄に関する本はあるが、歴史に関してはこの本がバイブル的なものであることに疑いはない。だが、おそらく鉄道関係(電車や施設、設備等のハードウェアとか)の記述は優れているのかもしれないが(残念ながら私はこの方面は門外漢)、歴史記述に関する部分には錯誤と思われる誤りが意外に多い。
大した本でなければ、誤りばかりでも気にならない(ゴミなので)が、優れた本であればどうしても気になってしまう。そこで、私のレベルで気付いた点を列挙し、自分の備忘録とするほかに公開することで参考としていただければ幸いである。では、「回想の東京急行Ⅱ」62ページから検討していこう。
P77「昭和2年7月6日 東洗足駅として開設」「昭和26年5月1日 旗の台駅に統合され廃止」
旗の台駅の前身の一つが東洗足駅だが、大井町線の駅であるだけでなく目黒蒲田電鉄以来の駅なので、旗の台駅の前身は池上電鉄縁の旗ヶ岡駅でなく、こちらだと言える。よって、歴史経過としては昭和26年(1951年)3月1日、まず東洗足駅が旗の台駅に改称され、現在位置に移転する。その後、同年5月1日になって池上線の旗ヶ岡駅が廃止となって、大井町線との乗り換え箇所に池上線の旗の台駅が移動する。この流れからすると、単に「昭和26年5月1日 旗の台駅に統合され廃止」とあるのはおかしい、となる。
P78「長らく変化の少ない北千束駅を出た下り電車は、左に洗足池の森と住宅、右に田園都市会社以来の住宅地を見下ろす直線の築堤を進む。」
なかなか大井町線の項は誤りが少ない(というか地名・駅名に関する話題が乏しい)ので、たいしたことのない部分も指摘する。指摘箇所は、「右に田園都市会社以来の住宅地を見下ろす」とある部分で、旧狢窪(狢久保)の低地は田園都市株式会社の分譲地とは無縁である。当然、洗足田園都市でもない。ただ、築堤上から洗足田園都市が見えないわけではないので、見下ろすという表現でなければ正しかったか…。
P80「大井町線は右カーブの高架線に変わり、下り勾配で直進する目蒲線を乗り越えて、緑ヶ丘駅に到着する。」
本書出版の時期(2002年5月)から、目蒲線は目黒線が正しいとしたいが(2000年8月6日に目黒線に改称)、まぁ大目に見よう(本書では目蒲線と章立てされてもいるし)。しかし、見過ごせないのは緑ヶ丘駅とある部分で、本書に見られる典型的な錯誤で正しくは緑が丘駅。
P82「緑ヶ丘」
正しくは緑が丘。
P82「初代駅名は、旧玉川村奥沢の小字名であったが、昭和7(1932)年の市郡併合の結果、駅は目黒区に属することになり、世田谷区に属した奥沢の地区名ではおかしいとのことからの改名であった。」
完全なる誤り(東急50年史を参照したか?)、かつ後半はでっち上げ。そもそも荏原郡玉川村大字奥沢に中丸山という小字などない。この誤りを鵜呑みしただけでなく、後半の目黒区に属することになりというでっち上げを妄想したと予想される(これは東急50年史には記載なし)。駅の場所は、当初から荏原郡碑衾町大字衾字谷畑下、つまり市郡合併後の東京市目黒区緑ヶ丘、その場所である。よって、一度も世田谷区域(玉川村大字奥沢)になど属していない。著者に対して「おかしいのは駅名でなくあなた自身である」と指摘したい。
P83「~(前省略)平坦な直線区間に入ると自由ヶ丘駅に到着する。」
いちいち面倒だが、自由が丘駅が正しい。
P84「自由ヶ丘」
正しくは自由が丘。
P84「東横線の開通当時は、谷底の平坦な駅で、古刹への下車駅として九品仏駅を名乗っていた。」
これは誤りではない。ただ、他説に九品仏前駅とするものもあるので、一応示しておくことにした。私的にも、九品仏駅だと考えている。根拠は、東急電鉄系の社史すべてがそうなっているほか、同時代資料である昭和2年当時の荏原郡碑衾町地図(碑衾町役場発行)にも「九品仏」駅と記載があり、積極的に九品仏前駅とする資料が見えない限りは、九品仏駅が妥当だと考えるからである。
というわけで、大井町線に関してはこれだけ。しかも、「ノ」や「ヶ」についてふれていて、である。前回記事にも記したように、本書は「回想の~」と銘打っているので「ノ」や「ヶ」については昭和40年(1965年)までを回想しており、あえてそのように表記しているならば誤りではない。池上電鉄出自の池上線とは誤りの程度も数も大違いで、さすがに目黒蒲田電鉄以来の大井町線だけのことはある。裏を返せば、それだけ池上線の歴史はいい加減なものが多いという証左となるだろうか。
次回は、同じく「回想の東京急行Ⅱ」の目蒲線部分を見ていく予定である。
北千束
洗足田園都市は旧環七より更に東側ですので狢窪越に望見することは不可能です。北千束になってからはかなり家が建て込んできたので見通すことは尚更困難です。生半可な知識で記事が書かれると定説化する危険があります。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2010/02/22 10:52
本題とは関係ありませんが、以下よりリンクいたしました。
よろしくお願いいたします。
http://mag.autumn.org/Content.modf?id=20100222115154
投稿情報: 川俣 晶 | 2010/02/22 11:54
コメントありがとうございます。
「洗足田園都市は旧環七より更に東側ですので狢窪越に望見することは不可能です」←やはりそうですよね。地形的にも大井町線の高架部分は低地にあたっており、北千束駅付近の地表面から高さはほとんど変わらないので、同程度の高さを持つ洗足田園都市は同一高視線にしかならないわけで。田園都市株式会社の分譲地範囲を正しく把握できていないことからの錯誤であるのは明白です。
「本題とは関係ありませんが、以下よりリンクいたしました」←川俣 晶様、了解いたしました。リンク先の記事において「同じレイヤーにいる」という部分はまったくそのとおり!と断言できます。
投稿情報: XWIN II | 2010/02/23 07:25