池上電気鉄道の歴史を探るため、少しの時間だったが東京千代田区にある国立公文書館に行ってきた。
最寄り駅は東京メトロ東西線は竹橋(たけばし)駅だが、駅を出て渡る橋は竹橋と書いて「たけはし」と読む。この間、坂を「さか」と読んだり「ざか」と読んだりする混用事例を紹介したが、これも混用事例である。
「Takebashi」とあるので、「たけばし」と読む東京メトロ東西線の駅名。
そして橋の欄干にある橋名標には「たけはし」とあるので、無論「たけはし」と読むことが確認できる。と、国立公文書館の話題から思いっきり逸れてしまうが、まぁとにかく行ってきたことと、何よりいくつか重要な情報も入手できたので、いったん他資料とも揉んでみて近日中に池上電気鉄道の歴史を探るシリーズを再開することとしたい。
といったところで、今回はここまで。
XWIN II様
池上線の時系列の敷設の情報を心待ちにしています。技術関係の見出しの一覧表でも結構ですから詳細の説明の前に掲載して頂ければ助かります。春を待って行ってみようと思っていますがピンポイント検索で時間を大幅に削減できます。図書館に行く時もOPACで書籍番号を予めしらべておくことで時間を大幅に節約できます。コピーに要する時間もばかにできません。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2010/02/01 16:43
XWIN II様
池上線余話
昔漫才師で地下鉄をどうやって地下に入れたかというネタで売り込んだことを思い出しました。池上線は昭和20年4月の空襲迄目蒲線に連結されていませんでした。電車をどのようにして入線させたのでしょう。これを考えると夜も眠れません。雪谷車庫にクレーンがあったかどうか記憶にありません。まあどうでもよいことですが一応気になります。目蒲線は蒲田で、東横線は菊名で国鉄と連絡していました。現在は長津田です。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2010/02/01 22:43
木造院電車両マニア様、コメントありがとうございます。
池上電気鉄道は開業時には蒲田~池上間のみだったので、やはり省線蒲田駅付近から搬入したのではないでしょうか。蒲田駅は貨物や操車場も控えていたことから、可能性としてはあるかな、と(臨時架線)。
投稿情報: XWIN II | 2010/02/02 21:07
XWIN II 様
コメント有り難う御座います。小生は池上総合病院で定期検診を受けていますが、上りホームの裏にかなり広い駐車場があり、古い写真に掲載されている車庫の跡ではないかとおもいます。車体と台車を別々に台車に乗せて蒲田から牛で引かせてこの車庫で組み立てることもできたかもしれません。ただ山手線を走っていた600Vの電車はかなり重く簡単に組み立ては困難かもしれませんが、この方法で車両を運搬している昔の写真を見かけますので何か方法があったのでしょう。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2010/02/03 21:33