その2を書いていながら、その1のオマケとはこれいかに。実は、その2を書いた後に資料の一つとして「東急電鉄記録写真 街と駅 80年の情景─東横線・池上線・大井町線80周年記念フォトブック」(監修:関田克孝、2008年5月2日第1刷発行、発行:東急エージェンシー)の旗ヶ岡関連あたりを読んでいたところ、デジャヴに襲われたからである。
それは、その1で指摘した日本語版Wikipediaの誤りに関しての部分で、当該箇所には次のように書かれている。
「源頼信が平忠恒追討の際にこの地で旗揚げをして祠に戦勝を祈願したところ成就した故事による。なお、この祠はのちに旗岡八幡神社が祀られ、地名も荏原郡荏原町大字中延字旗ヶ岡であった。池上電気鉄道開業時に設置された駅も「旗ヶ岡駅」であった。」
このどこが誤りなのかは、大字中延に字旗ヶ岡というものはなく、旗ヶ岡駅のあった所は字四段田であり、類似のものとしては字旗ノ台が別の場所にあると指摘したとおりで、日本語Wikipediaは相変わらず誤りが多いとしたのだった。一方、「東急電鉄記録写真 街と駅 80年の情景─東横線・池上線・大井町線80周年記念フォトブック」の40ページのコラムには次のように書かれている。
「源頼信が平忠恒追討の際にこの地で旗揚げをして、祠に戦勝を祈願したところ成就したことによるものとされている。この祠はのちに旗岡八幡神社として祀られた。地名も荏原郡荏原町大字中延字旗ヶ岡であり、池上電気鉄道開業時に設置された駅も旗ヶ岡駅となったわけである。」
若干表現は変わっているが、似ているというレベルを超えており、しかも「荏原郡荏原町大字中延字旗ヶ岡」と誤っているところまで同じなので、どちらかがパクったのは確かだろう。問題はどちらが先かということだが、意外と言っては失礼だが、日本語版Wikipediaの方が先に書かれているのである。日本語版Wikipediaにこの記事部分が追加されたのは、2007年7月16日06時04分時点。そして、「東急電鉄記録写真 街と駅 80年の情景─東横線・池上線・大井町線80周年記念フォトブック」は上に記したように2008年5月2日第1刷発行なので、どうやら東急公式資料(書籍)の方がパクっていそうな感じである。
もっとも、本書の著者がこれを書く前に別の書籍等で日本語版Wikipediaよりも先に書き、それを日本語版Wikipediaがパクった後、さらにその後に本書が発行された可能性も否定はできない。あるいは、日本語版Wikipediaと本書が同じ著者の可能性もあるだろう(苦笑)。とはいえ、可能性をどれほど考えたところで「荏原郡荏原町大字中延字旗ヶ岡」は誤りであるのだから、救われることはない。
いつもの結論となるが、鉄道ファン向けというか、鉄道メインの書籍や資料等で地域歴史が語られると、とってつけただけの資料を未検討のまま引用掲載したとしか思えないような低レベルのもの、あるいは勘違いとしか思えないものが数多く見られる。例えば、池上電鉄の話でいえば、大森~池上間を計画したというところで大森駅(停車場)あたりは海苔業者や料亭が多く建ち並び賑わっていた云々と、見てきたように書いておられる方があるが、大森駅と「本当の」大森とは1キロメートル程度離れており、料亭が連なっていたのも東海道沿いがほとんどであり、大森駅周辺とはまったく関係のない話である。確かに大正期には大森駅周辺の市街地化は進んでいたのは確かだが、その内容は「本当の」大森とは異なるものであるにもかかわらず、大森のことだから大森駅のこととしていいだろうという安易な発想としか思えない。
と、横道に思いっきり逸れかかったので(苦笑)、今回はここまで。
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