「昭和・大正・明治の地図で行く 東京懐かし散歩」(赤岩州五 著、交通新聞社 発行)について、リクエストを頂戴したので、ざざっと読んでみた。「散歩の達人」という散歩専門誌(?)の連載記事をまとめたもの、ということだが、紀行と言うよりはノスタルジック気味なエッセイに近い。まぁ散歩なんだからそんなに肩肘張ってするものではないので、この本についてもあれこれ細かいことまでチェックする必要はない性格の本だと感じたが、私の知る限りにおいてチェックしてみた。なお、誤っているからといって、この本の価値が落ちるわけではないということを先に断っておく(正確さよりも雰囲気重視の本なので)。
まず、本書44ページからの「幻となった戦前戦中の都市計画の跡」(目黒駅付近を紹介している)について確認してみよう。この本のスタイルは古地図を提示し、その当時何があったのかをポイントして確認しながら、エッセイでさらっと流しつつ、写真や現代の地図で比較できるようにしている。この記事中で気になった点を列挙すると、
- (誤)日出女学校/日出学園。青木要吉が創立した私立学校。山口百恵が卒業。
- (正)日出女学校/日出学園。小林芳次郎・雛子夫妻が創立した高輪裁縫学校が大正8年に現在地に移転し、大正10年に昇格・改称した私立学校。山口百恵が卒業。
なぜ、創立者を誤るという決定的かつ致命的なミスを犯したのかといえば、推測するに、Webで安易に調べた結果が千葉県市川市にある日出学園と混同したからと思われる。この誤りは、ちょっとというか相当失礼なものだといえるだろう。
- (誤)高山邸・岩永邸/現在は目黒雅叙園。
- (正)高山邸・岩永邸/現在は目黒雅叙園及びアルコタワー。
建設当時は確かにアルコタワーも一体だったが、現在は完全に別資本。関連もまったくない(何らかの提携はあるかもしれないが)。この記述は、雑誌掲載当時からそうなっていたと思われる(書籍出版時は確実)。これは以前がそうだっただけに、最近の動向を知っていないと厳しいかもしれない。
- (誤)三井鉱山目黒試験所/現在は目黒区民センター、目黒区美術館などに。
- (正)三井鉱山目黒試験所/現在は目黒区民センターなどに。
目黒区美術館は、三井鉱山目黒試験所の敷地内だったところになく、その隣接地にある。たいした誤りとはいえないが、気付いたので指摘した程度。
- (誤)市電敷地/現在の「柳通り(目黒区みどりの散歩道)」。戦前、市電路線を延長する計画があった。昭和19年、計画が消滅したため、そのまま不自然な直線道路となっている。
- (正)市電敷地/現在の「柳通り(目黒区みどりの散歩道)」。明治末期からの市電路線を延長する計画があった。昭和19年、天現寺橋~恵比寿長者丸間が廃止となり、昭和20年に大森新井宿(現在の大田区山王)までの延長計画の免許が失効したため、そのまま不自然な直線道路となっている。
正確性を期すと長くなるが、これでも短くとどめたつもり(苦笑)。あえて原文のように簡略化するなら「昭和20年、計画が消滅したため、そのまま不自然な直線道路となっている。」とすべきだろうか。
- (誤)昭和22年地図は、焼跡から、新しい歩みが始まった頃のものである。
- (正)文章表現自体が誤り。
昭和22年地図は、戦後間もない頃を活写したものではなく、昭和初期の地図に必要最低限の校正をかけたもの(例えば市電→都電。昭和18年に東京都制が誕生したことに合わせて)である。その証拠は、大字名・小字名が地図中にそのまま記載されていること。逆に東京市に編入(昭和7年)されてからの新区名や新町名がまったく記載されていないことが挙げられるが、一方で昭和10年代とする根拠は目黒競馬場跡地が既に住宅地となっていることから、この時期の必要最低限の補正のみが実施されている、とするからである。この時代の同種地図は、他にも数多く残されているが、いずれも戦前期のものを最低限補正しており、発行時期をもって「新しい歩みが始まった頃のものである」とするのは悪くないが、文脈的に戦後の姿を示す地図であるといわんとするのは明らかに誤解を招く表現となる。
- (誤)戦前、天現寺橋─恵比寿間の市電路線を目黒不動まで延長する計画があった。そのため、東京市は目黒新橋から終着駅まで、鉄道用地を買収していた。それがこの「市電敷地」である。しかし昭和19年、東京市は東京都に変わり、この電車路線そのものが廃止となってしまう。
- (正)天現寺橋─恵比寿長者丸間の市電路線を大森新井宿(現在の大田区山王)まで延長する計画が明治末期からあった。そのため、東京市は終点の恵比寿長者丸付近から目黒不動付近まで、軌道用地を買収していた。それがこの「市電敷地」である。しかし昭和18年、東京市は東京府と合併して東京都となり、翌年にはこの電車路線そのものが廃止となってしまう。そして免許もその翌年に失効してしまった。
戦前、というと通常は昭和期を指すと思うのだが、天現寺橋~大森新井宿の免許は、昭和どころか大正もさかのぼる明治44年(1911年)7月31日に取得したもので、書き方としては妥当とは思えない。明治末期と書くのが妥当と考える。また、読めなくはないが、昭和19年に東京市が東京都になったような誤解を与えかねない部分もある。加えて、用地買収を行った部分も目黒新橋から先(北側)も当然含まれていた(市電敷地のみに言及しているだけかもしれないが…)。
気付いた点は、こんなところだろうか。まぁ、最初にも書いたように、たかが散歩本にこんなつまらないツッコミは無用のものであって、多くの誤りが混入されていたとしても価値が下がるものではない。あえていえば、このレベルのものでも書籍化されるのだから、出版不況というのは「本離れ」云々というよりも単に価値ある本を出していないからなのでは?と愚考してしまう。そんなところで、今回はここまで。
近頃は、ネットを通じで簡単に情報が手に入る便利な時代になりましたね。専門的に研究されている方にとっては、さまざま努力されて得た知識の隙間を埋めるために、この情報は大変役に立つと思います。その際は取捨選択してその情報を取り込むことになるでしょう。
しかし、うわべだけしか知らない輩が、適当に情報をかき集めてみても、それは知識とは言えず、砂上の楼閣のごとく、脆くも崩れ去るさまは、痛快でもあります。
消費者というのは、だまされやすいようで、実はしっかり見ているものです。悪い噂はすぐ広まります。この出版社も消費者を買いかぶって、訂正版も出さずにほったらかしにしてると、消費者からとんでもない仕打ちを受けることになるでしょうね。
投稿情報: こむろ | 2009/06/10 00:54
こむろ 様、コメントありがとうございます。
「訂正版」といえば、どんな書籍にも誤りがあり(誤植含む)、その後の研究成果によって情報が更新される場合もあります(定点観測的なものを除く)。良心的な出版社あるいは著者は、Webで「訂正版」(正誤表)を掲載していますが、全体的には少ないように思います。
なお、本書については続編も書いたように、エッセイ部分(本人以外には確認しようがない情報のため)以外では誤り続出状態です。おそらく、私よりも詳しい方がご覧になれば、あまりのひどさに目を覆われるのではないでしょうか。
まぁ、たかが散歩本ではありますが…。
投稿情報: XWIN II | 2009/06/10 07:14