家人がNHK大河ドラマ「篤姫」を見て言った。
「何で、薩摩の人たちなのに標準語を話しているの?」
と。私は単に、薩摩言葉ではテレビの視聴者が理解できないからでは…と振っておいたが、疑問として残ってはいた。そして本日、たまたま偶然に、次のようなWebページを見つけた。ここに正解はあった。ちょっと長いが引用すると次のとおり。
ドラマを見てお気づきだと思うが、島津本家および分家の殿や姫、また上級武士の言葉は標準語で、分家の家臣ならびに養育係や侍女、そして西郷隆盛や大久保利通など下級武士たちの会話は鹿児島弁で交わされている。
これは、島津家25代当主・重豪(しげひで)が文化10(1813)年、江戸で幕臣たちと折衝する者に対し「言語の不通は藩の外聞にかかわる」として言葉を正すよう求めた達しにのっとっている。また篤姫の父・島津忠剛(ただたけ)は、8歳から19歳まで江戸で育っており、その後江戸に詰めたこともあった。島津忠重(30代当主)著「炉辺南国記」にも、磯邸では標準語が交わされていたと書かかれている。夫人の多くが江戸育ちであることや、江戸城では方言が通用しないため平素から標準語に慣れておく必要があったことが、その理由であった。こうした史実に基づいているのである。
なるほど。こりゃ一本取られた!と言ったところだ。Google等の検索エンジンで、これに関することを検索すると、Blog等でもっともらしい嘘を述べている人(嘘だという自覚はないようだ)がたくさんいることが確認できるが、当Blogも含めて、所詮ネットにあふれる情報などこのレベルのものがほとんどなのである。何でもそうだが、物事の正しいあり方を確認するには、原典(及びそれに準ずるもの)にあたることが重要だと再認識した次第である。
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