今日は6月1日。新年度がスタートして、早くも二か月が経過した。新生活をスタートさせた方は、ようやく慣れてきたことだろう。当社に迎え入れた新入社員の諸君も、徐々にではあるが、仕事に慣れてきたようで不安を持ちつつも、より強い逞しさを感じている。こういう新陳代謝が、何を進めていくにも必要なものだろう。
それにしても、今年度のNHKニュース、というか、「おはよう日本」と「ニュース7」。多忙なときは見ることができないが、自宅でも勤務先でもお世話になって視聴しているが、ちょっと戸惑うことがあり、それが二か月たった今でも解消できていない。4月当初ならともかく、こんなにも自分が慣れないものかと驚いてもいるが、戸惑いとは、次のようなものである。
- 「おはよう日本」7時台の阿部アナウンサーを見ると(あるいは声を聞くと)、もう夜7時なのかと錯覚する。
- 「おはよう日本」6時台の島津アナウンサーの低血圧具合を見ていると、こちらもテンションが下がる。
- 「ニュース7」のアナウンサーの印象が薄すぎる。
あくまで個人差であるので、気にならない方は気にならないだろうし、私以上に気にされる方もあるだろう。あるいは、私がまったく気にも留めていないことをすごく気にされている方も当然ある。要は、それだけの話である。
ということで、個々にふれていこう。まずは、錯覚問題である「阿部アナウンサーを見ると(あるいは声を聞くと)、もう夜7時なのか」と感じてしまう問題。これは、前年度まで夜7時の「ニュース7」が阿部アナウンサーだったことに起因する。そして、間髪入れずにいきなり今年度から12時間シフトしたのであるが、阿部アナウンサーの声を時報のようにとらえてしまっていたせいか、最初のうちは、朝食をいただいているにも関わらず、「もう夕方かぁ~」と思ってしまったのであった。さすがに、二か月経過した今では、そこまで重傷ではないが(苦笑)、未だに「あ、もう夜か?」なんて思ってしまうことがある。慣れの問題ではあるのだが、年のせいか、なかなか慣れないで困っている。
続いては「6時台の島津アナウンサーの低血圧具合を見ていると、こちらもテンションが下がる」という問題。島津アナウンサー自身が低血圧であるかどうかなど、もちろん知るところではないが、TV画面を通して私が受ける印象は、まったくのそれそのものなのである。おそらく、彼女自身に罪などなく、受ける印象が悪い私の責任であるのだが、私が感ずるところを列挙すると、こんなところからそう思うのである。
- 淡々とニュース原稿をしゃべり、感情の抑揚がないというよりも、あっさりし過ぎている。
- レポーターや他アナウンサーと切り替えるようなとき、機械的に切り替わる(カメラワーク云々ではない)ように感ずる。
- 「私には関係ない感」が漂っているように感ずる。
- 声が聞き取りにくいので、何をしゃべっているかわかりにくい。抑揚がないことが拍車をかけている。
- やりたくない感(やらされている感)が強く、それを見ている側も痛々しさを覚える。特に、感情の抑揚を表すような場面。週刊情熱大リーグの出だし部分等。
悪いことに、前年度まで担当だった首藤アナウンサーが土日にシフトしただけなので、余計にその差が目立ってしまっている。首藤アナウンサーは「噛む」ことも少なくないが、それ以上に持ち前の明るい声と聞き取りやすいしゃべり、感情の抑揚も示すべきところは示すことも相まって、欠点を覆い隠すだけの良さがある。つまり、どうしても島津アナウンサーと首藤アナウンサーを比べてしまうのである。土日の朝が休みの時は、首藤アナウンサーのニュースで目覚めのいい朝を迎えさせていただいているが、一方、平日の朝は低血圧具合のため、「おはよう日本」を避けるようになってきた。民放のうるさいだけのニュースは嫌なのだが、テンション下がるよりはましだろうと思っている。
三つ目の「ニュース7のアナウンサーの印象が薄すぎる」の件については、最初の問題である阿部アナウンサーの錯覚問題に関連している。何のことはない、新しい平日夜7時のアナウンサー(名前を覚えていない)の印象がしっかり確立できれば、朝の阿部アナウンサーの声により、もう夜かなどという錯覚を起こすことはなくなるからである。今のアナウンサーは阿部アナウンサーの手法を踏襲し、番組の冒頭でインパクトのある台詞を言った後、テーマソングが流れるという形となっている。おそらく、アナウンサー云々でなくディレクターか誰かの指示で行っているのだとは思うのだが…。
まぁ、所詮は一視聴者の戯言である。ではあるが、何とかならないかとは思う。
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