さて、久々に続きを書くこととなったので、前回までを簡単に振り返っておこう。
Windows 1.0からWindows 2.xまでは主流足り得なかったWindowsだが、Windows 3.0から爆発的な普及を見せ、Windows 3.1で確固たる地位を築いた。そして難産だったWindows 95がようやく登場する、というところまで話を進めた(って簡単すぎか(苦笑))。
そもそも、Windows 95(コードネームChicago)は、Windows 94つまり前年にリリースされる予定だったものが、様々な理由によりリリースが遅れ、ようやく完成したという流れなので、PCのトレンドと一部乖離するものがあった。その重要な一つがインターネットへの対応(インターネット回線への接続によるWorld Wide Web対応ブラウザによる閲覧等)である。インターネットそのものの歴史は、1960年代末より始まっていたが、1991年のCERNにおけるWorld Wide Web Projectの推進により、Windows 95の登場年には既に利用の下地は整っていた。
そこで、Microsoft社はインターネット接続への対応として、Windows 95の拡張機能パックとして用意した「Microsoft Plus! for Windows 95」内にウェブブラウザを同梱した。これがInternet Explorer 1.0(日本語版はローカライズ対応の遅れがあったので、さらに進んだバージョン2.0を同梱)である。だが、これはMicrosoft社がまったく新規に開発したものではなく、DOSと同じように他社から権利を購入し適用した。Spyglass社のMOSAICである。
間に合わせ、で済ませ、時間稼ぎをしつつ、物量で押し切るという作戦は、90年代のMicrosoft社の重要な戦略(戦術)であり、これが反トラスト法など、独占禁止法関連で是正を求められたものである。当初は、ウェブブラウザの雄だったNetscape Navigatorのライセンスを受けようとしたが失敗し、この態度を嫌ったMicrosoft社によって叩きのめされることになる。それが無料ばらまきであり、Windowsへの統合だった。
この流れを受けて、Windows 95の次のバージョンはウェブブラウザの統合、Microsoft社流にいえば「Active Desktop」の実現を目指すこととなった。難産の末にようやく誕生したWindows 95は、登場してすぐに新たな改変への道に進むのである。
そしてもう一つの動きは、Windows NT系との互換性問題については、稿を改めて次回とさせていただこう。
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