前回は、正岡子規記念球場を取り上げたが、球場つながりでプロ野球草創期に存在した洲崎球場のあったところを取り上げ…ようと思ったが、場所の確認をする時間がなかったため、やむを得ず、さらに洲崎つながりで洲崎橋跡地について書いていくことにする。
洲崎橋跡地は、東京都江東区東陽一丁目にある。跡地とあるからには、以前は橋があったことになるがそのとおりで、現在は緑道となっている洲崎川にかかっていた。現在は東陽一丁目となっているが、住居表示前は洲崎弁天町といわれ、1958年の売春防止法施行までは公然と売春が行われていた花街(三業地。赤線地帯)であった。この洲崎弁天町は、四方を水路または海で隔てられていたため(埋立地だったことによる)、洲崎橋をわたることは、すべてがすべてではないが、多くの人は遊郭目当てだったのである。
それも今は昔。東京渋谷区円山町などのように、今でもラブホテル等が林立するようなかつての三業地を思わせるようなものはほとんどなく、住宅街となったかつての洲崎弁天町、今は東陽一丁目となったこの地域。華やかさとは無縁となって、良かったのか悪かったのか。地元の人たちはどう思っているのだろう…。
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