新年、明けましておめでとうございます。旧年中は、XWIN II Weblogをご覧いただき、どうもありがとうございました。本年もよろしくお願いいたします。
と挨拶はこのくらいにして、前回の続き。東京渋谷区を流れる、渋谷川に架かる稲荷橋の話の続きを始めよう。
移転した当時は豊栄稲荷神社であったが、稲荷橋ができた当時にあった田中稲荷神社の歴史は古く、鎌倉時代、渋谷八幡宮を初めてお祭りした河崎土佐守基家の曾孫、渋谷高重によって祀られたといわれている。700年近い歴史を誇った神社だった。田中稲荷神社と呼ばれる前は、「堀ノ外稲荷」と呼ばれており、これは渋谷川が渋谷城の濠に利用されていたためとのことである。また、庶民の間では、渋谷川の端にあったため「川端稲荷」とも呼ばれていたらしい。この地は現在、1階に山下書店の入るビルあたりである(前回の写真にあった暗渠側を写したものの左側あたり)。
昭和10年(1935年)頃の渋谷駅周辺の古地図を見ると、稲荷橋(赤い○)と稲荷神社(青い○)が確認できるが、この上流部分に不思議なことに東横百貨店(現、東急百貨店東横店)が渋谷川をふさいでいることが確認できる。ご存知の方はご存知のとおり、本来ならありえない河川の上に私有の建物が建っているのだ。このあたりの経緯は「本当」のところ定かでない。東急50年史という東急電鉄の公式資料によっても、このあたりの経緯ははっきり書かれておらず、書けない事情があるのではと勘ぐるに十分だが、実際のところそうでなければ、河川の上に鉄筋コンクリート製の建築物など建てられないだろう。東京高速鉄道(のちの帝都高速度交通営団、現在の東京メトロ銀座線)を建設する際、うまいことやったのでは?と私は思っている。
ちなみに渋谷川とは、この稲荷橋のすぐ上流から地下河川となるが、その先の宮益橋(現在、橋はないが宮益坂下あたり)から始まり、下流の天現寺橋までの2.6kmである。天現寺橋から下流は古川と名称が変わり、一方、宮益橋から上流は隠田川とこちらも名称が変わる。隠田川の水源は新宿御苑内である。
というわけで、前回と今回、年をまたいで渋谷川に架かる最初の橋、稲荷橋について取り上げてみた。
東横百貨店は昭和9年にできているので、14年の東京高速鉄道開通の時には川の上にできていました。(むしろ、玉電ビル=東急東横店西館の方が、地下鉄建設にかかわりがあります)
川の上の建築は、東横バスの転回所として敷地を作る→売店を作る→百貨店にしてしまった
という、既成事実の積み上げによるものです。いかにも強盗慶太らしいやり口です。
投稿情報: 玉電 | 2009/08/12 16:13
玉電 様、コメントありがとうございます。
古い記事だったので、すっかり忘れておりましたが、的確なフォローに感謝いたします。今でも渋谷は再開発真っ最中ですが、さすがに東横百貨店(東急百貨店東横店)はやらないだろうなぁと思ったりしています。やるとしても、基礎は残してお化粧直しかな、と。
投稿情報: XWIN II | 2009/08/13 06:56