2022年最初の話題は、忘れないうちに記しておこうということで、東京都大田区にある極めてローカル的な蒲蒲線(新空港線)の話を今回から数回に分けて採り上げる。当Blogに昔からお付き合いいただいたいる方々には今更だが、結構横道に逸れてしまうことが多いのと、先行きを考えないで書き殴っていくので、10回以上になるか、3回くらいで終わるかも予想が付かない(苦笑)。
というわけで、始めて行こう。
そもそも、二つの蒲田駅がなぜできたのだろうか。そもそも二つなければ蒲蒲線などなくて良いはずである。日本最古の鉄道であるJR東日本の東海道本線と、関東最古の京浜急行電鉄。鉄道路線としては、JRの方が古いが、駅自体は京急の方が古い。1904(明治37)年4月11日開業の蒲田駅、1901(明治34)年2月1日開業の京急蒲田駅(開業当時は蒲田駅)。わずか3年ほどの違いであるが、JR東日本の蒲田駅の方が後に開業したにも係らず、国(開業時は鉄道院、改名時は鉄道省所管)に蒲田という名を譲り、自らは京浜と冠称を付け、京浜蒲田駅と名乗ったのである。
二つの蒲田駅ができた理由は、他の地域でも多く見られるが、市街地の敷設を避けた官設鉄道と、街道上の路面電車として開業した京浜急行電鉄(開業時は大師電気鉄道、後に京浜電気鉄道)は、並行すれども重ならない宿命を持つ。京浜急行電鉄発祥の地は、川崎市街地から川崎大師の路線であったが、起終点いずれも官設鉄道と接続されることはなかった。それどころか、開業時は川崎市街地にも入ることができず、六郷橋の袂であったのだ。
川﨑(2万分の1)並びに大森(2万分の1)より(©国土地理院)
国土地理院から明治晩期の地図を拝借した。現在の神奈川県川崎市川崎区の一部で、左上に蛇行する多摩川の上(北)側が東京都大田区、下側が神奈川県川崎市川崎区。ただ、当時は多摩川の中心線が都県境ではなく、この辺りでは東京府荏原郡六郷村が飛地的に存在していた(ここは現在の味の素工場。1914(大正3)年に当地に川崎工場が建設される)。六郷橋の袂と川崎大師終点の所に色を付けておいたが、六郷橋から川崎大師に向かう道路上に大師電気鉄道が敷設されたのである。この時点では、東海道本線と並行する路線ではなかったが、六郷橋から東京・横浜方向へ路線を伸長する際、路面電車故、道路上(ほぼ旧東海道上)に敷設されるが、川崎市中心部など住家が密集するような所は、路上を避け、後背地に避けるように敷設されていく。
その後、大師電気鉄道改め京浜電気鉄道は東海道沿いに路線を延ばしていくが、東京市の交通政策である市営による市内鉄道経営という考え方から、東京市内にあった品川駅に乗り入れることができず、院線への接続駅として大森駅が選択された。これは、その当時、品川〜川崎間には大森駅しかなかったためである(延長線の特許状申請時には大井町、蒲田いずれも駅が存在していなかった)。
1901(明治34)年2月1日、大森停車場前駅まで路線延長した京浜電気鉄道は、さらに翌年の1902(明治35)年6月28日、蒲田〜穴守間を延長開業。今日の京急空港線となる穴守線が完成する。東海道や大師道のような一定幅員を持つ道路がなかったため、いわゆる路面電車としてではなく、新たに鉄道用地を買収し、鉄道然として開業した。
陸軍参謀本部第一軍管地方2万分の1迅速測図原図(東京府武蔵國荏原郡大森村)より
ここでは、京浜電気鉄道の蒲田駅も院線の蒲田駅も開業する25年程前の地図で確認する。というのも、これら両駅が開業する前は、ほぼ上図の状況だったからである。ただ、1889(明治22)年の市制町村制施行前の村名であることに留意いただきたい。北蒲田村、蒲田新宿村、御園村と表記があるが、いずれも合併によって蒲田村の大字となっている。ご覧のように、左側を斜めに走る直線が官線(東海道線)、中央やや右寄りの斜めに走る直線が東海道である。東海道上に家屋が集中する以外は、ほぼ水田で家が点在するに過ぎない。典型的な江戸近郊農村の佇まいといっていいだろう。なお、蒲田駅は左上に「妙成寺」とある辺りにつくられている。その上にある線路をまたぐ道路は、今日、駅北側にある東西をつなぐ地下道の前身である。
さて、話は若干戻って、京浜電気鉄道蒲田駅並びに穴守線が蒲田駅で分岐したにも係らず、鉄道としては先輩に当たる官営鉄道には駅がなく、地元で駅誘致運動が巻き起こった。当時は、現在蒲田小学校となっているところに蒲田菖蒲園があり、京浜電気鉄道からの利用客もあったが、やはり官営鉄道の全国路線網は魅力があり、漸く地元の多大な支援もあって、蒲田駅が開業する。京浜電気鉄道に遅れること約3年後のことであった。
以上のように、二つの蒲田駅は今から120年程前にその姿を現していたが、この当時はまだこの二つの蒲田駅をつなぐという発想はなかった。だが、この両駅を結びつけようという構想は、何とあの池上電気鉄道が持っていたのである。といったところで、今回はここまで。次回に続きます。
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