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2016/01/06

コメント

あけましておめでとうございます。去年は私てきにちょっとおもしろかったのです。馬込に在住していた写真屋さんの方が亡くなられ、遺品として昭和20年代後半の馬込周辺の写真がかなりの枚数出てきて、それを拝見させていただく機会を得たもので。
そこで「松原橋」と「新馬込橋」の昭和20年代の写真を見せていただき、その中でネットで見た、「建設当時の新馬込橋」とされていた写真
https://www.google.co.jp/search?q=%E6%96%B0%E9%A6%AC%E8%BE%BC%E6%A9%8B&biw=1023&bih=849&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&sqi=2&ved=0ahUKEwjzht_0iJ_KAhVBRJQKHRVdCUwQsAQIIw#imgrc=bl4FxDHhBflegM%3A

が、実は「新馬込橋から見た、建設当時の松原橋」だということがわかりました。しかしこの写真は大田区的には、結構「新馬込橋」として流布されていて、大田区の広報へメールで指摘したら、折り返し担当者がお電話くださり。その話の流れで、「大田区も近い将来、品川区のようなウェブ写真館をする計画です。」とのお話が。結構昔の写真が集まっているそうで、楽しみに待とうと思っています。
1枚の写真が、ネット上に張り出されると、それがどんどん拡散する、ということがよくわかりました。ちなみに上記新馬込橋とされている写真の大もとは、大田区から指導が入り、現在削除されています。

コメントありがとうございます。
私を含めてそうですが、地域の歴史を知ると言うことは、部外者にとってはなかなか骨の折れることで、もともと「定説」などない中、「定説」らしきものに縋ってしまうと言う危険性が常にあります。
歴史研究のプロからすれば、自明でしょうが、結局のところ「鵜呑み」するのではなく、自身での分析が大前提としてあります。
なので、古老の記憶などと言う文化史的側面で見れば興味深い内容であったとしても、史実としてはあてにならないものも多い。だからこそ、写真のような客観資料の分析も「定説」だけでは怖いとなるわけです。

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